日本にオリンピックはもういらない! まずは給与水準の引き上げを

         三枝成彰 作曲家    2022/07/09    日刊ゲンダイ

    東京五輪の大会経費は、2013年の「 立候補ファイル 」では “コンパクト五輪”をうたい、

   7340億円だった。 しかし、先日発表された最終決算は 1兆4238億円という莫大な金額で、

 およそ2倍だ。 組織委の武藤事務総長は「 見積もりよりも 292億円少なくできた 」と誇らしげに

 語ったが、本当だろうか。  「 立候補ファイル 」に記載された経費は IOCが指定した項目について

 のみで、例えば 会場関係費は 工事費のみで、設計費や周辺整備費などは含まれず、輸送や

 警備の費用も 十分に盛り込まれていない という。 国や都の他の名目の予算に付け替えられた

 ものもあり、実際の規模は もっと大きいと考えられている。 総額は 3兆円を超えるだろうという

 のが通り相場だ。 すべては 国と東京都の負担。つまりは 私たちの税金から出ることになる。

 ある試算では、都民 1人あたりの負担は 10万円を超えるという。全国民で考えると1万円超だ。

 そこまで払わされて、国民の手元に残ったのは 何なのか。 さらに 今後は 各施設の維持費が

 かかる。 国立競技場だけでも 年間24億円だそうだ。  もちろん 大会でのアスリートの皆さんの

 奮闘は称賛に値する。 だが、これだけの負担を 国民に強いて行う意味があったのかは、甚だ

 疑問だ。 「 オリンピックの開催都市は衰退する 」という ジンクスがある。 国家レベルの大金を

 つぎ込み、競技施設を 次々に造って開催しても 実入りは さほどなく、後に残るのは “負の遺産”

 であり、施設の維持管理が 長年にわたって その街や国の財政を圧迫するのだ。 東京も日本も、

 その道をたどることは確実だろう。

    そもそもの発端が 安倍総理(当時)の「 フクシマの状況は アンダーコントロールだ 」というウソ

 から始まった五輪招致だ。さらに 「 この時期の東京は アスリートに理想的 」といいながら、結局

 暑さのために、マラソンと競歩が札幌での開催となった。 安易なウソを重ねた結果である。  

 大英断を下して「 名誉ある撤退 」をすれば 潔かったが、この国のリーダーたちは 誰も そこまで

 踏み込まなかった。あの五輪は 一部の政治家のプライドを守り、裏を仕切る一部の広告代理店

 を利するために行われたといってもいい。

  いまや五輪開催に広告代理店は不可欠だ。 国が表立ってできない IOCなどとのやりとりを

 受け持つのが 彼らなのだ。 例えば、IOC委員が子女を米国の一流大に入れたがっていると知ると、

 彼らは クライアント企業に寄付をさせ、入学枠を 1人分確保して 子女を入学させるという。その後は

 現地での生活費まで 企業に出させる。米国の私大では 一定の寄付をすれば 入学できると、私も

 娘を留学させたときに ある大学の学長から聞かされたことがある。そして 代理店は見返りに 

 その企業の醜聞や不都合な情報が マスコミに出ないよう取り図る。 つまり、結果として 日本は理事

 の 1票を獲得できるが、そこまでのプロセスに 国は いっさい関与していないという仕組みだ。

  そして 今また、札幌市が 2030年の冬季五輪の開催を望んでいるという。この ご時世に、日本で

 五輪を招致する必要があるのだろうか? 使われるお金の出どころの大半は 税金だ。 昨年の五輪

 も、お上が世界に広げた大風呂敷のつじつまを合わせるために、私たちがつきあわされたのだ。  

 五輪も「 スポーツ と平和の祭典 」よりビジネスの側面が大きくなり、曲がり角にさしかかっている。

 もう オリンピックはいらない。そう思い切るべきときがきている。 まずは 国を立て直し、給与水準

 を引き上げることだ。 国民的イベントなどもう古いのだ。