開催のためなら国民統制も厭わず、まるで戒厳令下のオリンピック 

  これが五輪の姿なのか、日本が突き進む暗く重苦しい東京2020|  JBpress

                       2021.6.14  作家・ジャーナリスト:青沼 陽一郎

 

  オリンピックとは、もっと楽しいものだと思っていた。  個人的な経験でいえば、2000年の

シドニーオリンピックが開幕する直前の数日を現地で過ごしたことがある。もう20年も過去のことだが、

その5年前に東京で地下鉄サリン事件を引き起こしたオウム真理教が、核兵器を開発しようと企て、

ウラン採掘を目的に オーストラリア西部の牧場を購入したことがあった。その現地取材の帰途が、

たまたま その時期と重なった。  

シドニー市内は 活気があった。もっとも、普段の街の様子を知らないから比べようもないのだけれど、

それでも 日中は トライアスロンの選手が市内の本番のコースでリハーサル練習をしていて、そこに

道行く人の熱い視線が注がれていたし、夜になると レストランは どこも盛況で、私のテーブルの

すぐ隣では 日本のテレビ局のカメラクルーが 現地コーディネーターと日本語で盛り上がっていた。

  これから面白いことが起こることへの期待と確信で、みんな目を輝かせていた。このまま開幕までを

過ごして帰りたい、とさえ思った。 

 

■ 国民の「我慢」「忍耐」の中で開催される東京五輪  

 

  翻って、オリンピック開幕まで 1カ月余りに迫った、いまの東京は どうだろうか。周知の通り、

新型コロナウイルスの脅威に 依然として曝され、緊急事態宣言が発出されている。 「要請」によって

飲食店は 時短営業を余儀なくされ、酒類の提供すら禁止されている。聖火リレーも 各地で中止が

相次ぎ、まだ 1カ月はある とは言え、まったく盛り上がりに欠ける。 面白くないどころか、我慢という

現状に苦痛すら感じている。

 しかも、政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長は、2週間前から国会で

「 今の状況で (オリンピックを)やるのは、普通はない 」と明言し、オリンピック開催による感染拡大の

懸念に 繰り返し言及した上で、「 感染リスクについて 近々、関係者に考えを示したい 」 とまで

表明している。 開催都市の住民や訪問客が目を輝かせるはずのオリンピックが、まったく別の方角に

向かっていることは明らかだ。

 

 ■ 国民の行動を制限しての「安心・安全」  

 

  こうした中で 10日、バッハIOC(国際オリンピック委員会)会長は会見で、東京オリンピックについて

こう言い放った。  「 完全に開催に向けた段階に入った 」  もはや ここまで来たら、時限タイマーが

作動したように、もう誰にも止められない、それは 自分にとっても不可抗力である、という言いぐさだ。

  そこに 日本国内の事情や 国民の意思など関係ない。 誰にも文句は言わせない、問答無用の態度

は、平たく言えば、モラル・ハラスメントもいいところで、日本人の尊厳を踏みにじっているに等しい。  

  ところが、日本政府は この発言に呼応するように 11日、 総務省、厚生労働省、経済産業省、

国土交通省が足並みを揃えて「 テレワーク・デイズ2021 」を実施すると発表した。その内容について

は、経済産業省の公式サイトにこう記載されている。 

  「 具体的には、2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会の開催期間中は、選手、関係者等

の移動も発生することから、人と人との接触機会の抑制や交通混雑の緩和を通じて安全・安心な大会

を実現するため、7月19日~9月5日の間、テレワークの集中的な実施に取り組むこととしました 」

 

  はて?  そもそも 大会組織委員会は、選手やコーチについて、滞在期間中は 移動も含めて外部

との接触を徹底的に遮断する「 バブル方式 」を取るとしているのだから、「 接触機会の抑制 」を

言い訳になどできないはずだ。  

   要するに、東京オリンピックの開催直前からパラリンピックが閉幕するまでの49日間、テレワークの

集中的な実施を民間企業などに求めるもので、言い換えれば、新型コロナウイルス感染拡大の懸念

を念頭に、人流を止めるべく、大会期間中は 仕事でも外を出歩くな、家に居ろ、と国民に徹底させる

ものだ。 「 安全・安心のオリンピック 」を名目に、国民の行動を統制下に置きたい本性が透けて

見える。

 

■ もはや 「楽しむ」対象でなく「我慢」の対象  

 

  一方で、来日する報道関係者の行動をGPS(全地球測位システム)で把握する方針を、大会組織委員会

が8日に明らかにした。GPSによる行動管理は、IOC関係者をはじめ 来日する大会関係者も例外

ではない。  また、選手やコーチの「 バブル方式 」についても、ルールを守らなければ資格剥奪や

国外退去の処分も視野に入れているとされる。

  こうした方針は、今週にも公表される「プレーブック」の最終版にまとめられる予定だ。  

ここまでくると、IOCが開催を既定路線とした東京オリンピックは まるで、戒厳令が敷かれたようなものだ。

IOCが主導し、日本政府、大会組織委員会が実行する。そうでなくても、東京都下の人々の行動を

監視、統制し、場合によっては 罰則を与えるとなると、まるで 中国のようだ。

  これが本来あるべきオリンピックの姿なのか。  

いまの中国の覇権主義を皮肉っていうのならば、「 自由で開かれたオリンピック 」はどこへ行って

しまったのか。いつのまにか、オリンピックの本来の価値を見失い、何が何でも開催するということに

こだわるあまり、がんじがらめの権威主義的な大会に変容してしまっている。

   開催地が熱狂し、人々が楽しめるオリンピックの姿が消失してしまっている。  英国で開催された

G7サミット(先進7カ国首脳会議)では、菅義偉首相が各国首脳に「 安心・安全なオリンピック」への

理解を求めるのに必死だった。

   米国のバイデン大統領をはじめ 複数の国から賛同を得たと報じられ、共同宣言にも開催への

「賛意」が盛り込まれたが、彼らが賛同するのは 派遣された自国の選手、すなわち 自国民の「安全

・安心」を担保としているからだ。 他国の首脳が 日本国民のことまで責任を負うはずがない。所詮、

菅首相が「 安全・安心 」を主張するのは、オリンピックの内側に向かってであって、これを取り巻く

日本国民に対しての「安全・安心」は 曖昧にして放置している。

   だからこそ、現状を前提にした東京オリンピック・パラリンピックの開催は 国民にとって安全なもの

なのか、政府から分科会に諮問がないことにしびれを切らした尾身会長が「 感染リスクについて近々、

関係者に考えを示したい 」と発言したに他ならない。

 

  おそらく 菅政権としては、このままオリンピックに突き進んだとしても、潮目が変わると見込んでいる

はずだ。 ひとつは、7月中に終了すると豪語する高齢者へのワクチン接種。 これで安心した「シルバー

デモクラシー」の支持を回復できる。 

 

■ 「開催すること」が目的化  

 

  それともうひとつは、大会期間中は 国民の自宅への幽閉を推進させ、大会が無観客で行われた

としても、テレビ観戦で 各個人を熱狂させる。新型コロナを理由に、大会への出場を辞退する国や

チームが相次ぐことから、日本選手には 有利な大会となることも予想される。それで 勝利する度に、

内包するナショナリズムがくすぐられて、オリンピックの開催に反対していたことも、不自由な生活も、

大会後の感染者の増加の懸念も忘れてしまう。  

   なるほど、9日の党首討論でも 菅首相は 討論そっちのけで、高校生の時に見たという前回の

東京大会の感動を滔々と語って、「 子どもたちにも見てほしい 」と呼びかけるはずだ。 かつて

大宅壮一がテレビを評して、「 一億総白痴化 」と吐き捨てたことも頷ける。 

   IOCの収益も、テレビメディアからの放送権料が 約7割を占めるとされる。  G7サミットでは、

覇権主義的な行動を強め、人権侵害が問題視される中国への「懸念」が首脳宣言に盛り込まれた。

だが、東京オリンピックは その中国の国家体制に倣うものとなりつつある。

「平和の祭典」を謳うオリンピックが聞いて呆れる。それも これも、開催するという既成事実が目的の

第一義に置かれて、手段が目的化しているからに他ならない。

   それは 仏教の世界で、煩悩を断ち切るべく出家した者が、煩悩に取り付かれることを「莫迦(ばか)」

と呼ぶのと変わらない。