以下は、私の日記の抜き書きです。

 

日本の民衆が 仏教を尊んできたのは、

その背後に天皇の存在があって、これを是としてきたからである。

 

     ※ 仏教を この国に植え付けたのは、聖徳太子だとされる。

       その後、日本の各地に、 国分寺・国分尼寺が創建されたが、

       これは、釈迦の教えに帰依した在地の民衆が造ったものではなく、

       天皇が その国家体制の安泰を願っての、いわゆる「鎮護国家」のためだった。

        僧というのは 明治維新に至るまで、わが国では 一つの「身分」であり、

       天皇の許可を得て はじめて 僧という社会的存在となった。

 

つまり、もし 天皇or朝廷が 仏教を非としたならば、

日本人は 仏教に無縁な者となっていただろう。

 

これは、しかし

他方で、日本仏教が 当初より、

権威主義に その根を張っていたということでもある。

 

    ※ 権威主義は、理非曲直、是非善悪を言うことを嫌う。

      権威の下には、善も悪になり、悪も善になる。是非善悪を言う前に 権威の下に跪くのだ。

        あるいは、事実に根拠を置かずに ”われわれ”の世界を秩序付けるのが権威であろう。

      また、権威というものは、”われわれ”の世界にしか その根拠をもたないものである。

 

        * 権威主義は、太古の「自然と人間との関係」 いわゆる 自然崇拝の流れを汲むもの

                    であろう。太古、自然(含。人間)は 圧倒的に 得体のしれないもの、霊威をもつもの、

          畏怖すべきものであった。

          その畏怖すべきものが、その重心を 自然から人間社会に移してきたのが、いわゆる

          歴史時代の権威というものであったろう。

 

    このことが

 宿命的に 日本仏教がその根を、人間の現実の大地に張らず、

 ”われわれ”の世界(の権威)に没しようとする傾向がある理由の一つなのだろう。

 

 

 

 その出自の共同体に 全責任を負う王となるはずだった釈迦が、

 その共同体を捨てて 「出家」しなければ、

 仏教は、この世に存在しなかった。

 

 つまり、仏教は 

 その存立の根拠を

 ”われわれ”の世界(共同体)に置くことを放棄したところにあるのである。

 

 放棄するとは、それをばないこと。

 共同体or”われわれ”の世界をばない・・・・。

 釈迦は しかし、この世に生まれるや、「天上天下唯我独」と言った。

 

     ※ この句をどう読むか?

       ・ 釈迦は 自身を指さして 「天上天下唯我独尊」、

       つまり 「世界で ただわれ独り尊し」と言ったのではなく、

       天の上(天空) と 天の下(大地)を指さして こう言ったのである。

       ・ 「唯我独尊」の「」を、

       「尊し」と形容詞として読むのではなく、動詞として読むとどうなるか?

       動詞として読めば、「ぶ」である。 では、何を尊ぶのか? 

       この句には、これ(何を尊ぶか?)が欠けている。

       すなわち、この句は

       <釈迦が この世に生まれてきた意義は、この目的語を ハッキリさせるためだった>
             というふうに読めるのである。

       そして、青年釈迦にとって、「 尊ぶべきは その釈迦族の共同体なのか、

       それとも、他に 尊ぶべきものがあるんじゃないか? 」 という問いのまえに立って、

       彼は、”われわれ”の世界(共同体)を捨てて、

       いわゆる 出家し、求道の旅についたのであろう。

 

 

   

鎌倉時代のはじめ、 平安仏教の権威・比叡の山を下りて、

吉水に草庵を営み、貴賤男女を問わず 念仏を勧めていた法然を、

藤原摂関家の氏寺である興福寺の学僧・貞慶が 朝廷に訴えた。

 

その9か条の疑難の 第一が、「新宗を立つるの失」である。

 ・・・ たとえ、徳ありといえども、すべからく 公家に奏して もって勅許を待つべし。

   私に一宗と号すること、甚だもって不当なり。

 

かくして、法然およびその門下は 罪に問われたのである。

そして 親鸞は越後に流された。 いわく、 

  しかれば、すでに僧にあらず、俗にあらず この故に禿(とく)の字をもって姓となす。

と。

 

 

 

親鸞は こうしたことを踏まえて、

その和讃に、

   上宮皇子(聖徳太子のこと)方便し 和国の有情をあわれみて 

   如来の悲願を弘宣せり 慶喜奉讃せしむべし

と詠じているのである。

 

 

 

                                       合掌

 

 

                        (つづく)