仏教の基本概念である「無常」というのは、
‘ 昨日のごとく今日があり、 今日のごとく明日がある ’という “日常”の否定である。
無常: この世に 常なるものは 何一つない。
しかるに、我々は この世に 常なるものを求めてやまない。
いつまでも変わらないものがあると思うor願う。
私も、私の子供らも、日本も、科学技術文明も、人類も、地球も、この宇宙も、
やがて壊滅して、そして 誰もいなくなり、何もなくなってしまうのだが・・・。
しかるに、日本人は、この世 つまり「無常」の世界を、
室町時代中期までは 「憂き世」、室町末期以後には 「浮き世」と大和ことばで語ったという。
これが、日本人独特の仏教理解だった指摘されている。
つまり、われわれ日本人は、この「無常」という きわめて論理的なことばを、
「日常の否定」とはとらえず、
これを日常感覚のなかに取り込んで、感情のことばで解したのである。
※ 仏教の言葉の特徴は、よく知られているように、
「無」とか 「不」とか 「空」とか 、あるいは「離」や「捨」や「除」や「出」などという語の多用にある。
つまり、仏教は 感情のことばで語られるよりは 圧倒的に論理的な言葉で語られている。
仏法は、この世に結果(果報)を求めない。
※ この世 ・・・ “この世”があれば 死後の “あの世”があるというのが、日本仏教。
しかし、本来の仏教は、“この世”というのは 死後も“この世”という。
つまり、“この世”とは 娑婆世界のこと。我々は 死に変わり 生まれ変わりして、
六道を限りなく輪廻していく 迷いの世界のことである。
しかるに、このことが 日本仏教の徒をして、
この世に悪業・不条理が増長するのを放置して、
これを抑止しようとする者(事)を軽んぜしめてきた。
果報を この世に求めないのは、往相。
限りなくこの世にこだわって、その不条理の増長を抑止し、
菩提への道を整えるのが 還相である。
中国唐の善導は、その『往生礼賛』に、
かくのごとき等の罪、 上は諸菩薩に至り、下は声聞・縁覚に至るまで、
知ること能わず。 唯 仏と仏とのみ、すなわち よく わが罪の多少を知りたまう。
今、三宝の前、法界衆生の前において、発露懺悔したてまつる。あえて覆蔵せず。
・・・・
今日より始めて、願わくは 法界衆生とともに、
邪を捨てて 正に帰し、菩提心を発(おこ)し、
慈心もて 相(あい)向かい、仏眼もて 相看(あいみ)、
菩提の眷属、真の善知識と作(な)り、同じく阿弥陀仏国に生ぜん。
・・・・
と。
この文の前には、「かくのごときらの罪」 が 縷々 述べられている。
それは、日常のなかで為している 私の罪悪である。
この日常が 罪悪の上に営まれているという認識が、
しかし、日本仏教の徒には 大きく欠落しているのではないか?
善導の語る“ 正に帰し” という “正”とは何か?
日本仏教の徒は、これを “長いもの” と捉えている*。
※ “長いもの”・・・ “長いものに巻かれろ”の“長いもの”
“長いもの”とは、 “われわれ”の世界(日常の常識世界)、
つまり、国家or世界体制 ( 権威および権力システム) であるだろう。
* 真宗の「真俗二諦」が、このよい例だろう。
その原初的な表現は、
外には王法をもって表となし、内心には他力の信心を深くたくわえて、
世間の仁義をもて本とすべし
という 文明6年(1474)2月17日の日付で書かれた蓮如の手紙にある。
※ この2月16日には、一休宗純(1394~1481)が大徳寺の住持になっている。
この頃は、1467年に始まり 1477年に終わった応仁の乱の真っ最中である。
この3年前の1471年7月に、蓮如は 越前に吉崎御坊を創建する。
当時の時代背景を踏まえて考えなくては、この言葉の意義は軽々には論じられないが、
これが、明治初年の西本願寺21世門主明如では、「祖師相承の宗義・真俗二諦の妙旨」とて、
それ、皇国に生をうけしもの、皇恩を蒙らざるはあらず。ことに、方今維新の良政をしきたまひ、
内億兆を保安し 外万国に対峙せんと 夙夜に叡を労したまへば、道にまれ 俗にまれ、誰か
王化をたすけ、皇威を輝かし奉らざるべけんや。 いわんや 仏法の世に弘通すること 偏に
国王・大臣の護持により候へば、仏法を信ずる輩、いかでか王法の禁令を忽緒せんや。
これによりて、わが宗においては、王法を本とし、仁義を先とし、神明をうやまい、
人倫を守るべきよし かねてさだめおかるる所なり。・・・
という 「御遺訓の御書」にまでなっている。
かなり饒舌かつ蓮如の意を歪曲して、維新政府に阿った見解であるが、
これが 今日の西本願寺教団の公式見解なのである。
合掌