「 破邪よりも 顕正 」

これは、大正時代 浄土真宗の僧侶になることを拒んで、

信の火を 燃え上がらせていた一念仏者が、

その教化において 肝に銘じることになった言葉であり、

彼の弟子たちも また、この言葉を大事にしてきた。

 

この言葉が語りだされて 今や 時代は移った。

彼が刻印されていた 万世一系の天皇を戴く 大日本帝国は、

ヒロシマとナガサキによって瓦解したが、

その結果として、米国に隷従する戦後体制は、

今なお、物心両面において 我々を支配している。 

 

この戦前に語りだされた 「破邪よりも 顕正」 という句は、

天皇への崇拝(絶対服従)を背景として、語りだされたものである。

つまり、「この世には 絶対に それに触れてはならないものがある」という意識が、

この言葉の背後にはあるのである。    ※ 「触れる」とは 例えば、批判すること 

しかし、これは 明治の王政復古で、はじめて この国に生まれた意識であった。

     ※ 参考: NHK 未来潮流 哲学者・鶴見俊輔が語る 「日本人は何を捨ててきたのか」 

       関川夏央 1997.3.15    https://www.youtube.com/watch?v=dePbEVfkwLo

 

そもそも、仏法においては 破邪と顕正とは優劣をつけるべきものではない。

 

  然るに 前の六大徳は、並びに これ 二諦の神鏡なり。

  ・・・ 皆 共に 大乗を詳審し、浄土に歎帰す。

  すなわち これ 無上の要門なり。

                 ―――― 道綽禅師の『安楽集』第四大門の第一

      ※  六大徳: 菩提流支や曇鸞など 6人の法師、  二諦: 真諦と俗諦、第一義諦と世諦

 

大徳が詳審するのは 大乗、つまり 釈尊の教えであって 他の教えではない。

この釈尊の教えを、

  

 親鸞は その正信偈に、

  第二の釈迦・竜樹を讃えて、

    悉能摧破有無見 (悉くよく 有無の見を摧き破り)  ――― 破邪

    宣説大乗無上法 (大乗無上の法を宣説す)    ――― 顕正

      ※ 有無の見: 有と無とをはっきりさせて 細かな論理を立てていく インド民族特有の性癖 

   

  また、中国浄土教の祖・曇鸞を讃えて、

    焚焼仙経       ――― 破邪 

    帰楽邦         ――― 顕正

       (道教の経典を焼き捨てて、浄土の教えに帰した)

     ※ 江南から 長生不死の法を説く 道教経典を得てきた彼は 菩提流支に遇って、

         古来 中国人が深く迷ってきた”壽”、つまり「長生不死」への願望を断ち切られた。

と述べて、

破邪と顕正の歴史的現実に注意している。

 

 また、法然は その教えを 「選択本願念仏」と言った。

選択とは、

  選び捨て      ――― 破邪  

  選び取る      ――― 顕正

こと。これが法然の念仏であった。

 

 「選び捨てる」ことなくして 「選び取る」ということはない。

      ※ 「選び捨てる」とは 「照破される」ということである。

 「選び捨てる」ものが 明らかにならないでは、

 「選び取る」ものは 曖昧なものにならざるをえないのである。

 

善導大師は その『観経疏』に 二河白道の譬喩を語るに、

 

 今更に行者のために 一つの譬喩を説き、

 信心を守護し、         ――― 顕正 

 外邪異見の難を防がん。 ――― 破邪 

 

と。

外邪異見の難、つまり 「群賊悪獣」の”詐親”・”欲殺”との死闘こそが、

東岸と白道を問うことなく、

人が 向西行(西に向かいて行く)ということの内実なのである。

 

そして、外邪異見を 外邪異見とハッキリ見抜いた時が、

つまり、東岸発遣の声を聞くときであり、

西岸召喚の声を聞くときなのであろう。

 

                                        合掌