下品下生とは、
あるいは 衆生ありて、不善業を作り、五逆・十悪 もろもろの不善を具せん。
かくのごときの愚人、悪業をもってのゆえに、
まさに悪道に堕し、多劫を経歴して 受苦無窮なるべし。
・・・ ―――― 観無量寿経
悪意なしに、
我々は いかに多くの人々の運命を踏みつけ踏みにじっていることか!
これを、”我執”と言い、”自己中心”と言う。
自覚している自らの悪よりも、それと知らずに為している悪の方が厖大である。
このわが現実を 具体的に知らされなくては、仏法にならないであろう。
周りの人々から、あれこれと 厳しい指摘を受けなくては、
私は 自分の為している悪を自覚できないのだ。
下品下生の「不善」は、ふつう自分では気づかない悪であろう。
悪意なしに、
私は 周りの人々の運命を捻じ曲げている。
しかし、その一つ一つは 仏智に照らし出されて、始めて知ることができる。
この時、十方諸仏の国に わずかに目が開くのであろう。
※ 例えば、
込み合ったバスや電車の中で、意図せずに、隣の人の足を踏みつけていたとする。
しかし、私は そのことにまったく気づかず、 隣の人に 〝イタイ! その足をどけてくれ!”と
顔をゆがめて 叫ばせているのだが、私は 自分の行為を意識していないために、かえって
その人の表情に 違和感を覚え、”この人は 私に悪意を持っているのではないか?”とか、
”この人は 心に何か問題を抱えているのではないか?” と思って、自分が その人に対して
理不尽を為しているとは なかなか気づかない。
―――― といった類のことは、よくあることではないだろうか?
あるいは、善意でやっていることが、やがて 相手にとっては 悪しき結果となるといったことも、
我々の営みのほとんどすべてで起こっていることであろう。
合掌
👇「安冨歩の演説 at 堺市役所前」 2019年7月19日
https://www.youtube.com/watch?v=AikqxnCWjPg
約50分
前前回の参院選、山本太郎氏の演説 (digest)
パルテノン多摩 2013.7.16
https://www.youtube.com/watch?v=V7u01C6ANgg
約14分