不死身のsunaaraiです。
約2年の内観。起業準備しました。
経営者になる準備です。
心の修養を致しました。
写真は、記事と関係ありません。
梅雨明けはまだ。7月初旬の日差しが
真夏に感じます。
さて私は、神仏を見たことはありません。
神仏を感じることは出来ました。
なので神仏を信じることはできます。
ただし、人はまだ信じられない。
煩悩が多い存在ですからね。
当然、個人崇拝は致しません。
自分より愚かな者から、、
指図をされたくありません。
職人は頑固者ですから。
その団体には主催者に対する会員の
(読者の)盲目的な支持があります。
それが高じて宗教組織になった?
俺は職人気質だから空気なんて
読まない。
出来栄えを、反省し次につなげる。
改善を繰り返してきた。
及第点はあるが、完全はない。
主催者は、読者の忖度に乗じ、
服従を強制しているように見える。
イベントへの会員さんの、
自発的なボランティア活動が、
献身的な個人崇拝に見えます。
私は職人気質なので我家の宗派と
大切にしてきた神仏以外は、
信仰致しません。
信仰深くはありませんよ。
正信偈は知らなかったし、
般若心経まで唱えてましたから。
それでも因果律はわかります。
我が家は浄土真宗です。
信心獲得しんじんぎゃくとくを、
信心をいただくことの大切さを
大切にしています。
信心を話題にしましたら、、
私は、門徒だと批判?された。
まあ、そんな反応、笑笑。
わがままも、喜怒哀楽も
あって当たり前だと思う。
人なのに煩悩がないのは
気持ち悪い。
会員に自己反省させるのに
主催者は自身に言及しない。
教祖を批判する空気がない。
これは、ほころびになる。
人は、人として煩悩があって
当たり前だと思うのです。
帰命無量寿如来南無不可思議光
私は他力の信心獲得を大切にします。
葬式の為の、仏教ではありません。
煩悩あるままに救う。
だから、追悼法要を他宗教に
お任せすることはありません。
浄土真宗の領分に、個人の立場で
手を突っ込んではいけない。
追悼法要は会員のアンタのノルマ。
大いなる神って誰?
悪しからず。
私はカルトに迷わない。
これ以上、距離を詰めたら名指しする。
コギトエルゴスム。
我思う故に我あり。
do it yourself.yes.do it myself.
自分で考えよう。
皆、因果律の雲の中で生きてます。
たまには、雲の上を見ませんか?
sunaaraiです。
いろいろ不安はあってもさ。
ひとつひとつ対応するしかない。
不安を煽って商売するのはやめろ
見飽きた。
俗っぽい。
せからしか。
善巧方便という言葉があります。
多少の困難も学習にはなります。
たから、多少、緩い信仰でも
いいかなと思います。
sunaaraiです。
平均的な日本人です。
たぶん。