お正月も一段落した夕方、楊小京の家に電話をした。
「新年好!」、「新年好!」
今日は中国も元旦で、特に正月の祝いはないが
祝日休みだ。
1月26日~29日のドバイでの見本市の話から始まり
「ドバイの見本市は”義烏”と同じだ。デュッツセルドルフ
みたいにきちんとしてない。”義烏”と同じだから
良くなかったら来年は出ない。しかし一度出ると
止める訳にはいかないし。。。。」
相変わらずの口調に笑ってしまった。
”義烏”は世界の雑貨マーケットと言われる
ここ10年少しの間に急成長した家内工場のマーケット
で、今や二つの大型ビルに小さなテナントが
ひしめいている。
”義烏”という共通の言葉で見本市を例える
ひらめきに会話が弾む。
「今年5月は横浜の見本市だから、決めたよ」
「ウン」、とこれも話がはやい。
「今度は北海道に行くよ」
どうやら外国人周遊チケットで、ずっと前から
行きたいと言っていた北海道を決めている様子だ。
「2008年は4000万だ。2007年は3200万だった」
「お疲れさまやねえ」 「皆の努力です。」、と
これもいつもの口調で、皆、仕事はかなりタイトや、と
会社の報告もいつもの通りだ。
「日本の景気は良くないよ」
「知ってる。中国はもっと悪い。ズーシの工場は海外向けが
ほとんどだったからすごく悪い」
「あんた、何時中国に来る?」
「う~ん、4月か5月かなあ。。。」
少し雑談のあと、皆によろしく、と電話を置いた。
時間にして5分ぐらいのものだろうか。
この間に楊小京の様子、会社の様子、中国の様子が
手に取るように分かる。
楊小京は、93年に設立した杭州京冷医療器械(有)の
社長でもう16年の関係になる。昨年4月に杭州に行った
時に、「小田さん、こんなに長い間、、、」、と
言ってくれたが、本当によくここまでやってくれて、と
同じ思いだ。小さな町工場が今や全中国医療機器関係で
60番目ぐらいの会社になった。
それも驚くほどの堅実な歩みでだ。
楊小京は中国語だけだ。私の中国語は怪しいもので
普通に考えると電話での会話など非常に難しい。
しかし、誰よりも話が分かるし理解できる。
顔を見てだと100%問題がない。実に不思議だが
波長が合うのだろう。
杭州京冷医療器械(有)
「新年好!」、「新年好!」
今日は中国も元旦で、特に正月の祝いはないが
祝日休みだ。
1月26日~29日のドバイでの見本市の話から始まり
「ドバイの見本市は”義烏”と同じだ。デュッツセルドルフ
みたいにきちんとしてない。”義烏”と同じだから
良くなかったら来年は出ない。しかし一度出ると
止める訳にはいかないし。。。。」
相変わらずの口調に笑ってしまった。
”義烏”は世界の雑貨マーケットと言われる
ここ10年少しの間に急成長した家内工場のマーケット
で、今や二つの大型ビルに小さなテナントが
ひしめいている。
”義烏”という共通の言葉で見本市を例える
ひらめきに会話が弾む。
「今年5月は横浜の見本市だから、決めたよ」
「ウン」、とこれも話がはやい。
「今度は北海道に行くよ」
どうやら外国人周遊チケットで、ずっと前から
行きたいと言っていた北海道を決めている様子だ。
「2008年は4000万だ。2007年は3200万だった」
「お疲れさまやねえ」 「皆の努力です。」、と
これもいつもの口調で、皆、仕事はかなりタイトや、と
会社の報告もいつもの通りだ。
「日本の景気は良くないよ」
「知ってる。中国はもっと悪い。ズーシの工場は海外向けが
ほとんどだったからすごく悪い」
「あんた、何時中国に来る?」
「う~ん、4月か5月かなあ。。。」
少し雑談のあと、皆によろしく、と電話を置いた。
時間にして5分ぐらいのものだろうか。
この間に楊小京の様子、会社の様子、中国の様子が
手に取るように分かる。
楊小京は、93年に設立した杭州京冷医療器械(有)の
社長でもう16年の関係になる。昨年4月に杭州に行った
時に、「小田さん、こんなに長い間、、、」、と
言ってくれたが、本当によくここまでやってくれて、と
同じ思いだ。小さな町工場が今や全中国医療機器関係で
60番目ぐらいの会社になった。
それも驚くほどの堅実な歩みでだ。
楊小京は中国語だけだ。私の中国語は怪しいもので
普通に考えると電話での会話など非常に難しい。
しかし、誰よりも話が分かるし理解できる。
顔を見てだと100%問題がない。実に不思議だが
波長が合うのだろう。
杭州京冷医療器械(有)