こんにちは、カタロスです
今日は、特攻隊員「穴澤 利夫大尉」についてご紹介したいと思います。
穴澤大尉の遺書は、書籍やYouTube上でも目にすることが多いです。
ご存じの方もいらっしゃるかもしれませんね。
私は、今年の春ころ知覧特攻平和会館を訪れた際に、語り部のお話の中で、
「穴澤大尉の婚約者だった智恵子さんのその後」について知り、
時間が経っても頭から離れず、心に深く刻まれた話でしたので、特攻隊関連の書籍を何冊か購入して更に深く調べることにしました。
ザックリな情報にはなりますが、一人でも多くの方に知って頂いて、興味を持って頂けると嬉しいです。
穴澤利夫大尉(享年23歳) 1945(昭和20)年4月12日戦死
大学時代に将来を約束した婚約者:智恵子さんがいました。
出撃前に、智恵子さんから贈られた白いマフラー(実際は智恵子さんが愛用していた薄紫色の女物のマフラーだったそうです)は、「神聖な帽子や剣にはなりたくないが、替われるものならあの白いマフラーのように、いつも離れられない存在になりたい」と、一人で行ってしまう穴澤大尉の一部となって寄り添いたい想いで贈られたそうです。
※白いマフラーは、特攻隊員のシンボルであり、万一の場合は応急処置にも使われたそうです。
智恵子さんは、穴澤大尉が戦死された後、何度かお見合いをされたようですが、やはり彼のことが忘れられなかったそうです。終戦から9年が経ち、伊達さんという男性とご結婚されました。
結婚生活は苦労も多かったようです。夫が癌を患い、足も不自由となって、闘病生活を介護という形で支えたそうです。夫が亡くなって以降、一人暮らしをされ生涯を終えられました。
2013年に永眠。
晩年までの智恵子さんは、穴澤大尉との大切な思い出を秘めたまま、取材に応じることは無かったそうですが、
(ここからの太字は書籍より抜粋しています)
(智恵子)「利夫さんが私だけに残してくれたものを公にしていいのかとずいぶん悩みました。だけど、彼の日記や手紙を見て、そこから何かを汲み取ってくれる人もたくさんいるでしょう。私自身もそれを何度も読み返して、利夫さんへの理解を深めることができたから」
「最近は、戦争が美談とされることもあるし、特攻隊を勇ましいと憧れを持つ人もいる。でも、私たちは戦争がいかに悲惨なものかを知っています。間違った情報が伝わらないように、今、話しておかないと、と思ったのです。あの時代を生きて、身をもって体験したことを語る人は、毎年少なくなっている。私が長く生かされていることに、何らかの使命が課されているとしたら、それは語り部としての役割かもしれませんね」
・・・「知覧からの手紙」新版(中公文庫) 著者:水口文乃 より抜粋
晩年の智恵子さんは、穴澤大尉との思い出や戦争について語り、多くの方との交流を通して語り部として貴重な情報を残してくださいました。
(ネット検索)【 穴澤 智恵子 その後 】と検索してみてください。
智恵子さんが晩年、ドキュメンタリー番組に出演された時の画像などが出てきます。とても美しい方です。
こちらの画像はTV番組内の映像の一部です。
今年、特攻平和会館の語り部のお話の中でスクリーン上に映された画像と同じ時のものだと思います。
63年ぶりに穴澤大尉の遺品である軍服と対面されて、智恵子さんが顔を埋めて泣き崩れる姿です。
63年という永い年月を経ての再会なのです・・・
私は、この画像が目に焼き付いて忘れられません。
戦争に対する怒りや悲しみを抱えながら、戦時〜戦後以降の価値観が目まぐるしく変化する世の中を懸命に生きて、どれほどの永い年月「穴澤大尉」への想いを胸に秘めてこられたのか・・・
当時は、大切な人の死によって、自分の心も抜け殻になってしまったはずです。それでも、力強く生き抜いた智恵子さんの語り部として訴えてこられた想いを、私達は受け継いでいかなければいけないと感じました。
長くなりましたが、ここまで読んで頂いて有難うございます。
次回は「穴澤大尉の遺書の一部」をご紹介したいと思います。
ではまた!
カタロスより