テレパシー | エグゼクティブ・コーチ 和気香子

エグゼクティブ・コーチ 和気香子

普段の思考パターンではどうしても出てこないことが、ふとした瞬間に閃くことがあります。
そんな状態を意図的に作り出して、色んな気づきを得てもらうことで将来の夢・ビジョンを明確にしたり、課題解決のためのヒントを見つけるお手伝いをするのが私のコーチングです。

こんにちは。
イキイキとした毎日を送るためのサポートをする月香です。

生きづらさを感じているあなたのために

”テレパシーの存在を信じる”と言った人がいました。
ごくごく良識的な人です。
で、テレパシーが、”心が通じ合っているのならば考えていることが分かる”という定義であれば賛成ですと言ったところ、その人の考えるテレパシーの定義は私と同じものでした。

こんなことを書いてみようかと思った理由は、留学時代、言葉を使って自分の考えることをずっと主張し続けなければならないことに疲れたのを思い出したからです。
ベトナムでちょっとばかり英語を使ったから。

あと、本来予約したはずのコンファレンス・ルームが既に予約済みで別の部屋に変わっていると言われ、しつこくクレームをつけたら、予約済みの筈の部屋がやっぱり空いていることが判明したので。
何か似たようなことがアメリカでは良くあったなあ、と思い出しました。

でも、よくよく冷静に思い出すと、常に主張し続けなければならなかったというのはウソでした。
お店、学校、銀行等、一見の人に会う場所では常に主張しなくては適当にあしらわれてしまうのは確かですし、ただの同級生相手の場合も同じでした。
彼らとの間には、テレパシーなんか全く存在しませんでした。

でも、仲良くなるとそんなことはありませんでした。
言わなくても分かってくれることがしょっちゅうでした。

また、とても嫌な言い方なのですが、Classeのある人は特に仲良くなくても、文脈を読み取る力に優れていたような記憶があります。
きっと生まれながらに、周りの人の気持ちを読み取るべく訓練されてきたのだと思います。
将来のリーダーとなるために必要なスキルとして。
これについては、どこの国の人も同じでした。

でも、住んでいるところにいる全ての人と仲良くなることは出来ないので、やはり主張しなければならないことが多かったのです。
あの頃は、私でも攻撃的だったし、表情もキツかったのではないかと思います。

一方、日本に居ると、一見の場所であっても、言わなくても察してくれることが多いので、やっぱり楽です。
生まれ育った背景に共通点を多く持つからでしょうか?
テレパシーは存在するような気がします。

本当は文化とか人種に関係なく、心の底に本能的に持っている感情は同じだと思うので、テレパシーが通じてもいいはずなのに、後から刷り込まれた価値観や思い込みがそれを邪魔しているんでしょうね。
なんか勿体ない気がします。
これも平和ボケの日本だから言えることなのでしょうか。


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