続・価値観が変わるとき | エグゼクティブ・コーチ 和気香子

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普段の思考パターンではどうしても出てこないことが、ふとした瞬間に閃くことがあります。
そんな状態を意図的に作り出して、色んな気づきを得てもらうことで将来の夢・ビジョンを明確にしたり、課題解決のためのヒントを見つけるお手伝いをするのが私のコーチングです。

こんにちは。
イキイキとした毎日を送るためのサポートをする月香です。

この前、「価値観が変わるとき」というタイトルで、不倫の恋に落ちた友達の”価値観が変わった”のではないか、と書きました。

でも、その後、ふと考えつきました。
実は、変わってないんじゃないかって。

ちょっと、躊躇われるところがあったので、私自身の経験を書くのを省いてました。
そして、自分の経験から考えると、「変わらなかったな」と。

年齢を重ねる中で、不倫の恋というものをしたことがあります。
そもそもは、「不倫はまかり間違ってもしてはならない。自らが、なんてのは言語道断!」と考えていました。

また、その相手と出会った時は、結婚願望が強かったので、不倫の恋なんかに無駄な時間を費やすなんて、全く考えが及びませんでした。

当時、既婚者から言い寄れたりすると、適当にあしらいながらも、「酷い目に合わせた方が良いのかしら?」なんて思ったりしてました。
実際に、酷い目に合わせるような面倒なことはしませんでしたが(笑)。

でもね、理性ではないんですね。
その人と出会った時も、既婚者であることは知っていたので、デートの誘いもそれを理由に断り続けました。
それでも、連絡を待っている自分が居るんですね。
つまり、既にその人を好きになっていたんです。

「結婚願望があるから、既婚者とはおつきあいしません」
と言い続ける私に対し、「離婚する」と言った相手を信じました(信じたかったのだと思います)。
子どもも居ないし、そう遠くない内に、離婚は成立するのだろうと考えました。
感情が理性に勝ってしまったわけです。

そして、不倫が始まりました。
当時を思い出すと、「離婚したいと思い・思わせるような関係を作る方が悪い」と考えるようになっていました。

で、「不倫はいけない」ことという価値観はどうしたか、と言うと、今から分析すると、上記の考えで隠していたのだと思います。

日本の、割に厳格な家庭に育った優等生的な私には、”名は無くとも実のある愛情”ってものは受け入れがたかったようです。

ほんの最初を除いて、会えば泣かない時はなかったし、記憶は朧(きっと忘れたいからですね)なのですが、「こういうことはして欲しくない」というようなことを沢山言ったような気がします。

で、彼は、「(離婚話をしているので)家に帰っても泣かれ、私に会っても泣かれ」で疲れてしまったとのことでした。
スタートから半年程度経った頃でしょうか、終わりになりました。

私が言いたいのは、「不倫はいけないこと」という私の価値観は変えることが出来ず、変わることもなく、私の行動を左右していたのだ、ということです。
「不倫はいけないこと」だから、早く終わらせるように行動していたのです。

価値観に背いているようで、実は価値観に従って行動していたんだなあ、と今は解釈してます。
リミッティング・ビリーフの強化行動というものにも似ています。
強化行動については、また日を改めて書きたいと思います。

その恋が終わって暫く経過した今、その価値観がどうなっているかと言えば、自分にとっては当てはめるけれど、他の人には強制しないし非難・批判もしない、という感じでしょうか。
それでも、やっぱり、既婚者で言い寄ってくる人はちょっと軽蔑してしまいます。

だから、先日挙げた友人も、もしかしたら、価値観が変わることなく、逆に辛い思いをしているのではないか? なんて思ってみたり。
変わっていれば、その方が楽なはずなんですが。。。


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