香港の中心地から東に20キロ、ニューテリトリーと言われる郊外に、日本の食材を使い、フランス料理のテクニックを生かした料理を楽しんでもらいたいというレストラン、WA Theater Restaurant があります。シアター、という名前の通り、レストラン内には4Kのプロジェクターがあり、その食材がどのように作られたか、映像とともに産地の様子も紹介されています。

 

 

 

厨房の指揮をとるのは、ミシュラン二つ星のL’Effervescence やKeisuke Matsushimaのヘッドシェフを歴任した長屋英章シェフ。

 

テーブル席もありますが、オープンカウンターでは、シェフやキッチンスタッフの動きをそのまま目にすることができます。

 

提供するのは、昼7コース、夜は12コースのテイスティングメニューのみ(もちろん、2回目以降に訪れる方には、前回の訪問とは別のメニューが提供されます)。

 

「おれづみの息吹」

 

 

玉手箱を開けるところから、おとぎ話のスタート。

おれづみ、というのは、沖縄で吹く春の季節風のこと。南仏の季節風、ミストラルと同じように、日本にも季節風がある。日本から、季節風に乗って四季折々の食材が届く、それを昔から伝わる美しい言葉で表現したい、という長屋シェフの思いが込められています。

 

 

日本の産地と香港をつなぎたい、とプロジェクターでは日本の美しい風景や、実際に使われている食材が育つ環境などが紹介されます。

 

 

そして、日本の料理にとって、とても大切な水。軟水だと、昆布のグルタミン酸などが出やすく、旨みや香りを引き出すことができるからだとか。日本から超軟水の白神山地の水を月に400リットル輸入、味に関わりのある部分、例えば湯がいた青菜類を水に浸すなどの作業は、全てこの軟水で行っているそう。逆に、フランスの食材を使うときはフランスの硬水を使うなど、使い分けているそうです。

 

 

・プロローグ おとぎ話〜春の朝霧の風景

綺麗な和紙で包まれた桐の「玉手箱」が運ばれてきます。

一番最初は、はっきりとした味わいで、フランス料理の旨味を感じるもの。

 

 

左上は、マルセイユで修業した、長屋シェフならではの思い出の味から。冷たいホタテのフラン、ルイユのフォームも角切りにしたホタテの貝柱を混ぜて、CaviariのKristalキャビアを乗せて。

 

その横は、うに丼のイメージで作ったという、米のクラッカーと、しっかりとした味わいのウニのフォーム、クリーミーで雑味のない、上質のバフンウニ。

 

しっかり香りのある牛肉の自家製生ハムとしばづけのフィナンシェという組み合わせ。

 

日本にもフランスの‘Sucre-Sale’ 甘じょっぱい味覚があることを表現するために、フランス文化にある牛肉と日本の伝統的な漬け物と合わせたのが、この組み合わせの理由。

 

「香港のお客様は、最初が肝心。最初にインパクトがあり、好まれるウニなどのメイン食材を持ってくることで、この後もこのシェフに任せていいんだ、という安心感が生まれると思っています」とのこと。去年11月にオープンして5ヶ月、日本の食材をどんな風に香港のお客様に楽しんでもらうかに心を砕いてきたことがうかがえます。

 

Scene 1 “おれづみ”〜春の気配

 

 

香川のホワイトアスパラガスと伊勢の黒アワビに、桜の風味をつけて焼いてあります。

 

「細胞膜を壊さないように適度な食感を残し、ジューシーに、かつ食材の甘さを最大限引き出すための調理法をと、アワビはコラーゲンを変性させるために60℃、アスパラガスはセルロースを壊さない温度、70度以下で3時間じっくりと茹でて下ごしらえをしてあります」と長屋シェフ。

 

 

ホワイトアスパラガスは、食感も香りもしっかりと残っています。

ディジョンマスタード、桜の葉の塩漬け、桜味のブールブランのような泡のソース、下に敷かれているのは、赤ワインの酸味の効いた、アワビの肝のソースといった風に、様々な味を重ねて。この辺りは西洋料理のアプローチと言えそうです。西洋の春の風物詩、ホワイトアスパラガスに、日本の春、桜を合わせるというコンビネーション。

 

 

Scene2 語源〜ビスキュイ

 

 

青森の春の風物詩だという毛蟹の仲間、トゲクリガニを軽い泡のビスク仕立てに。ブリオッシュの上に蟹の身を乗せ、ミモレットとピスタチオを乗せてあります。「ナッティな香りがあるので、ナッツと合わせました」と長屋シェフ。トゲクリガニの身は引き締まってしっかりとした印象。

 

 

 

 

訪れたのは3月、メニュー全体のタイトルにもあるように、沖縄で春に吹く南の季節風のことを指すという。

 

 

一緒に提供されたのは、日本の小麦粉と酵母にこだわった、シニフィアン・シニフィエが監修したパン。

 

 

 

Scene3 環境〜野菜フラペチーノ

 

 

日本から温暖な香港に来て、よく飲んでいたというフラペチーノ。すっきりとした喉越しを、野菜のガスパチョで表現したいと思ったのがこのメニューができたきっかけとか。「アメーラトマトやリサトマトなど、季節ごとに最も品質の良いトマトを選んでいます」と長屋シェフ。モッツァレラチーズ、きゅうりがゴロゴロ入っていて、シソが清涼感を増しています。スモークソルトで香ばしく仕上げて。

 

 

Scene4 飲茶スタイル~Dim Sum style?

 

 

器は富山県高岡市の伝統工芸士、島谷好徳さんが作った『すずかみ』という、自在に形を変えられる錫のシートで作った器を作り、中には春巻を。香港の人たちの毎日と点心は切り離せないもの、フランス料理で点心的なものを表現できないか、と考えた末に生まれた品とか。

パートブリック生地にプリプリの伊勢海老と冬の名残のチヂミほうれん草と甘みたっぷりのネギのフリカッセを巻き込み、揚げる代わりに、澄ましバターで焼いてあります。上には伊勢海老のフォーム、伊勢海老のみそを使ったバターソース。伊勢海老とネギの甘み、ほうれん草の収斂性、伊勢海老のしまった身の食感が楽しめます。

そして、同時に考えられているのが、温度のメリハリ。氷点下のフラペチーノから、熱々の揚げ物に、緩急あるコース構成になっています。

 

 

Scene5 未来~感性

 

 

遠赤外線のグリルで焼き上げた、山口県の黒柏鶏という、ぷりぷりした肉質の鶏肉を使っています。透明な鶏のジュにとろみをつけ、甘酢生姜というコンビネーション、フォワグラの味噌漬けのアイスパウダーとマカダミアナッツをふりかけて。出汁ですこしシャキシャキ感を残して炊いた京人参と黒大根、まるで日本の筑前煮を洋風にアレンジしたような印象で、「フォワグラは調味料として使う」という発想が新鮮でした。

そして、意識しているのは「口内調味」、一種類のソースだけだと飽きてしまうから凍らせたフォワグラをかけることを思いついたそう。

「噛んだ時の旨味、縦の旨味、と言っているんですが、この辺りは、「よねむら」の米村シェフから学びました。」と長屋シェフ。

 

 

Scene6 追憶~プルースト

 

 

修業先のNARISAWAで福井県の奥井海生堂に出会い、熟成させた昆布の美味しさにに目覚めたという長屋シェフ。香港では京都の3年蔵囲昆布で出した出汁と同じく京都産の水菜、周りを香ばしく焼いて香りを引き立たせた埼玉のこだわりの農家、貫井さんが育てた原木しいたけ、タケノコに合わせた、前沢牛のしゃぶしゃぶ。丁寧に旨味を引き出した昆布と鰹のだしそのものは、醤油だけで、みりんや砂糖などは加えていませんが、牛肉の脂が溶け出し、しっかりとした甘みを感じます。出汁ですが、葛でとろみをつけるのは、口の中にとどまる時間が増え、余韻を長く、より旨味を感じやすくする効果も考えてのこと。

 

Scene7 継承~食文化

 

 

10日エイジングしてあるという、北海道の松皮かれいとからすみ、日本酒のソースであえ、ネギをあしらった冷製パスタ。カレイの縁側は少し炙ってあります。グラニテよりも高い温度帯の口直しを出したい、とたどり着いたのが、この冷製パスタ。日本酒で作ったというソースは、アルコール感が強く、そばとパスタの間のような味わい。

 

「従来のグラニテだと冷た過ぎて、舌の上で次の料理の和牛の脂が固まり消化が悪くなるためこの温度帯を狙ってます」と長屋シェフ。

 

さらに、「人生で最も食べに通ったレストランよねむら。フランス料理出身の米村シェフからは、多くの日本の表現方法、日本独特の食材の扱い方などを学びました。その師匠へのオマージュの一品でもあります」。

 

今の時期は、有名な世界三大珍味だけでなく、日本にある三大珍味を知って欲しいと、からすみの冷製フェデリーニを提供しているそう。

 

Scene8 牛匠〜サスティナビリティ

 

 

飼料に酒粕を加えて腸内環境を良くすることで、美味しい牛肉を作るという、小形牧場の前沢牛のヒレ肉を、同じく麹の塩麹に漬け込み、なるべく肉にストレスをかけないで焼こうと、フライパンで、肉がジュっと言わず、焼き目がつかないくらいの温度で丁寧に1時間かけて焼いてあるのだとか。「赤身だったら真空調理でも良いと思うのですが、真空にすることで肉にストレスがかかって、多少細胞が潰れて肉汁が出てしまいますし、丁寧に育てられた肉は、丁寧に料理したいのです」と長屋シェフ。

 

 

八女産の本玉露の葉と、そばの実のリゾットのようなお茶のソース、そばの香りのあるシャキシャキのそばの芽。

 

このお茶のソースは、茶葉のうえに白神山地の水で作った氷を置いて、苦味のあるカテキンではなく、旨味であるテアニンだけを抽出して雫茶を作り、それをソースにしたもの。使った茶葉は、苦味のアクセントとして一緒に入れています。

 

「日本の水は軟水、日本の食材の持つ旨味、酸味や香りが最も抽出しやすい」と長屋シェフ。

 

もう片方には、茶葉の苦味とつながる、ふきのとうの天ぷらに、ドミグラスソースのような味わいの、しっかりコクのあるフレンチの赤ワインソース。

とろけるようなきめ細かい食感の和牛のヒレ、サステイナブルという理由は、フードマイレージの大きい輸入の餌ではなく、酒粕など、地元産の飼料を食べさせているからだとか。

 

このような茶葉で香りをつけるようなスタイルは、広東料理で、葉に包んだおこわがあったりするので、香港の人にも親しみやすいのではないかと感じました。

 

母が茶道の先生だったこともあり、お茶が子供の頃から身近な存在で、茶懐石にも興味があるのだとか。

 

修業先のNARISAWAでは、素材の味を重視して、ミルポワを使わず、肉は肉の味がするのが大切、というシンプルさと純粋さを重んじるスタイルだったとか。

 

「この赤ワインのソースも、なくていいのかな、という気もしているのです」と、日本料理の削ぎ落としていくスタイルを、これからもっと極めていきたい、と言います。

 

トータルのストーリーを大切にする長屋シェフ、このお茶は、デザートに使う抹茶への伏線でもあるのだそうです。

 

Scene9 純水〜白神山地の雫

 

 

ゆずとピンクグレープフルーツのグラニテ、生のポンカンの実に、ヨーグルトのソルベが添えられています。上からさらに、熊本産のポンカンの皮をすりおろしてかけてあります。

 

中でもとても印象的だったのが、水のゼリー。

 

 

甘くないゼリーの中に、レモンバーベナでほのかに香りをつけただけの、白神山地の水が入っていて、噛むとちょうどとても大きな柑橘の一粒を噛んだ時のように水分が弾ける、まさに水の味を感じるデザート。

 

 

ゼリー自体もデザートのメイン、ポンカンのような形をしていますが、まず中の水を凍らせて、ゼリーでコーティングすると、こんな形になるのだとか。

 

ヨーグルトソルベの優しい乳酸の味に、様々なシトラスの味が混じり合い、すっきりとした後味のプレデザートになっています。

 

Scene10 枯山水~苔2018

 

 

奈良のいちご、古都華を使い、京都の枯山水をイメージした盛り付けに。抹茶色のゼリーのキューブはしっかりとアルコール感の残る、パスティスの甘くないゼリー。ルイユを使い、南仏に始まったコースが、南仏のパスティスで終わるというストーリー。料理が、どんな香りで終わるのかを大切にしたい、と長屋シェフ。

 

抹茶アイスクリームとメレンゲの下のマスカルポーネの甘み、マルトセックを使った抹茶のクランブルの香ばしく優しい味、香りの良い抹茶のパウダー。

 

美しい環境の水場でないと育たない苔をモチーフにしたデザートを通して、人が生きていく中で水がいかに大切か、美しい地球を次の世代に遺して行きましょう、というメッセージが込められているそう。

 

エピローグ

“Déjà vu” 希望と祈り

 

 

美しい港に面し、竜宮城をイメージして作ったというこのレストラン。それぞれのメニューに「シーン」と名付けてあるように、まるで舞台を見ている時のように、非現実の世界を味わってほしい、そんな思いが感じられます。玉手箱で始まり、玉手箱で終わる。デジャヴと名付けられた最後のコースは、竜宮城での食事が幻だったのか、そんな夢の世界のような感覚を抱いて欲しいという思いから。

 

玉手箱を開けると、あんずのパンナコッタ、青リンゴのテュイルとホワイトチョコレートなどの小菓子が現れます。

 

 

料理には、世界を変える力があると、成澤シェフから教わった、と長屋シェフ。美味しい料理を食べることで、幸せな気持ちを共有して欲しい。国境、宗教、人種、言葉を越えて平和な未来が訪れてほしいとの願いをこめての『希望と祈り』というメニュー名。

 

 

 

食事の後に、こだわりの厨房を見せていただきました。先輩のNabenoismの渡辺シェフが使っていて購入を決めたという機械、V.C.Cもありました。数百万円の出費だったそうですが、少ない人数で厨房を切り盛りしているだけに、機械への投資は必要経費と考えたのだそう。海外で、特にローカルスタッフの入れ替わりの速さを目の当たりにしていると、確かに納得。温度帯を調節でき、表面積が大きく、センサーで6箇所の温度調節できるということで、ソースのリダクションなどを行う際にも効率的にできるのだとか。

 

 

日本人がつくるフランス料理という意味で、色々な方の影響を受けた、という長屋シェフですが、そのうちの一人が、NARISAWAの成澤由浩シェフ。長屋シェフが入ったのは、ソースを主軸にしたクラッシックなフレンチから、食材を引き立てるオリジナルの里山キュイジーヌにスタイルを変え、「NARISAWA」だけの名前になった時から。

日本の食材にこだわった厨房では、毎朝一つの儀式があったと言います。

「成澤シェフが、その日届いた食材をキッチンに全部並べて、その状態をチェックするのです。客が入っていようが、そうでなかろうが、生産者が作ったものは、全部買う。生産者を支えるためです。そうして、余ったものは保存ができるように加工して全部使う。」

そんなスタイルにとても影響を受けたそう。

 

日本料理の基本は水。そして、長屋シェフの料理も、水にこだわった料理、調理の際に使う水も、湯がいた青菜を浸すなど、最終的に味に影響の出るところは、すべて白神山地の水を使っているというこだわりよう。

 

「こうして日本の食材にこだわって作っていると、自然とフランスのワインよりも、日本のワインが合うようになってきます。最初、日本のワインは旨味も穏やかだし、少し弱すぎると思っていました。でも、日本の食材と合わせると、こんなに食材を引き立てるのか、と驚きます」

 

日本のテロワールとも言える、水の味を表現するフランス料理、それを香港の地で表現している長屋シェフ。

美しい環境に育まれた日本の食材の良さを引き出し、いかに、世界の食材が集まる香港の文化と調和させていくか。

 

11月のオープンから半年、リピーターも増え、満席の日も多いそう。私がお邪魔した日も、先週来たばかりという常連さんが、カウンターでゆっくりと日本酒と食事を楽しんでいました。

 

今年5月には、同じ建物内にホテルも完成予定、食事だけにとどまらず、オーベルジュとしても楽しめることになりそうです。

 

 

<DATA>
WA Theater Restaurant(ワ・シアター・レストラン)
営業時間:ランチ 12:00~14:30、ディナー 18:30~22:30(火曜休)
住所:Shop on the LG/F and UG/F., The Pier Hotel, Pak Sha Wan, Sai Kung, New Territories, Hong Kong.

電話: +852 2779 7797
アクセス: MTR坑口駅からタクシーで15分ほど

http://www.wa-theater.hk/restaurant/