こんにちは。kyokoです。
夏のあの激しい暑さもどこえやら、、。
秋の風を感じますね。
今回は私の想いをつづります。
私は年に数回、
保育園の主催するイベントにて、
産後の女性の為に必要な運動
赤ちゃんと一緒に楽しめる運動
そんな内容のレッスンをさせてもらっています。
ボランティアです。
無償でやらせてもらっていました。
でも今回、園長先生からレッスンのご依頼を頂いた時、
私は言いました。
「参加者の方から、わずかでも構いませんので、参加費を支払って頂きたいのです」
園長先生は仰いました。
「ママたちからお金を払ってもらうことは出来ません。
kyokoさんには園から謝礼をお支払いしますよ。」
違うんです、、、!
お金が欲しいから、こんなお願いをした訳ではありません。
いえ、
お金は欲しいです。
欲しいと思っていますよ、、、でもね、園も限られたた予算の中で、サービスを充実させなくてはならないですよね?
子供たちが安心して過ごせるように。
ママたちが安心して子供たちを預けられるように。
施設や保育の質を高めなくてはならないですよね?
私に払う僅かなお金があるなら、
ぜひ子供が遊べる新しいおもちゃをひとつ買ってあげて欲しい。
そう思っていたからこそ、今までボランティアで、無償でレッスンをしてきました。
でもね、、、。
それは、私が自分の善意に酔っていただけです。
誰の為にもならない行動だと分かったのです。
「タダで受けれますよ!
入れるだけ目一杯入って下さい!」
そんな中で参加された方には、
時間潰せるからとか、お友達と待ち合わせにいいとか。
レッスンには興味がない。
そんな方も混じって参加しています。
そのような方は、私の話を聞いてくれないだけでなく、私語を始めます。
ママ同士でおしゃべりを始めてしまうんです。
少しだけのおしゃべりなら、ママ同士の交流も大切だと思うので構わないのですよ。
でも、ずっとずっーと!
私が大切なことを話していても、私語はやめてくれません。
(この後のランチどうする?とか、最近始めた習い事が良かったとか、レッスンと全く関係ない内容です。)
軽く注意しても、しばらく経つとまたおしゃべりが始まります。
そうなると、もうレッスンはどんどん壊れていきます。
学級崩壊と同じ原理です。
皆んなが集中力を失い、この時間はどうでもよい時間になります。
あちこちで私語が始まり、もはや真剣に受けてくれる方はほとんどいません。
こんなことが、最近、
この園だけでなく他の場所でも起こるようになりました。
私のレッスンがつまらない、、?
自虐的な卑屈な原因を抜いて考えると、
この数年で、世田谷区は子育ての環境がすごく充実してきました。
遊びに行ける子育て広場が増え、
一時保育も気軽に利用出来るようになりました。
そして無料で、様々な講座に気軽に参加することが出来るようになりました。
私が出産したのは7年前です。
その時には考えられないくらい、子育ての支援が充実してます。
とても良いことだと思います。
ママたちを孤独にしないこと。
子育てを皆んなで手助けすること。
すごく大切だと思います。
でも、
いつでも気軽に無料で講座を利用出来ること。
それで、
ひとつひとつの時間は、貴重な機会では無くなってしまったのではないでしょうか?
私はそのように感じられます。
これがダメでも次がたくさんあるから、、?
またいつでも来れるし、、?
私は
興味をもって参加してくれた方までも、意味ない時間を過ごすことになってしまうこと、
それがすごく悔しく残念に思います。
誰にも何も伝えられないなら、
誰にとっても意味ない時間なら、それは無駄です。
やらない方がマシです。
だから私は
参加する方に、お金を払ってもらいたいと思ったのです。
やりたい方に来て頂いて、
そしてお金を払ったのだから、
そのぶん私から何かを学びとって帰って欲しいのです。
私は真剣にフィットネスを学んできました。
レッスンもいつも真剣にやってます。
参加される方と、しっかり向き合っていきたいのです。
ボランティアでレッスンすること。
全てを否定している訳ではありません。
ボランティアか必要とされる時もあると思います。
でも、
それが本当に参加者のためになっているのか?
そこをちゃんと考えないといけない、、。
そう思いました。
そして自分自身も
ボランティアでやることが負担になっているのなら、長くは続きません。
続かないなら、楽しみにしてくれた人を悲しませる結果になる。
そう思いました。
自分の甘さに、浅はかな考え方に、
すごく反省しています。
園長との話は決裂しましたので、
私がこの園で、何かをさせてもらうことは、もうないかと思います。
でも、
それで良いと思います。
長いお話を最後まで読んで頂きまして
ありがとうございました。