今日は(婦人科ではなく)

内臓腫瘍のMRIのために、婦人科と同じ大学病院に行ってきた。

 

採血・採尿を済ませ、着替えて、

予約時間通りにMRIがはじまった。

 

MRIって頭だったか、昔、他の病院でやったことがあったような…。

その病院はヘッドホンつけてクラシックが流れていたような記憶。

 

今回は耳栓して、生き吸って、吐いて、止めて、の、繰り返し。

こんな何回も?っていうほど。

検査技師さんには「上手でしたね。1回で写真とれました。」って言われた。

 

婦人科の時もそうだったけど、病院行くと本当にいろんな思いをする。

私はいま独身で歩くのも不自由ではないし、(見た目、元気だし)

病院内の複雑な構造(何号館何階のAとかBとかのエリア)も

地図見れば何とかわかるけど、

年齢重ねていって、一人で病院行けなくなったらどうなるんだろう。

 

つい数日前、芸能人が病気を公表し、海外留学中の子どもが帰国した

とネットニュースが流れた。

「今の私には一番のクスリです」と。

 

前にも書いたけれど、「子どもを残して死ねない」とか

「子どもがいるから頑張れる」とか…

子ども、子ども…って言う人がいっぱいいる。

そうなんだろうけど、じゃあ、私みたいに子どもがいない人が

病気になって、その、【子ども】を理由にしている人達と同等の

「死ねない」「頑張れる」理由は何なんだろうか。

うまく表現できないのだけれど、

誤解を生むかもしれないけれど、

ある意味”他者”である【子ども】を理由にするのは

ちょっと違うのでがないだろうか。

ずるいのではないだろうか。

子どもにとっては重荷なのではないだろうか。

子どもは親が死ぬのなんて望んでいないだろうが、

「あなた(子ども)のために辛い検査・手術を頑張るのよ」

って言われたら、どう思うのだろうか。

私の父親は、数年前、心臓の大きな手術をした。

本来、3回に分けて行う手術を1回でやらないと持たないと言われ、

心臓手術で評判の病院でしてもらい、今は元気に過ごしている。

母は万一のことを考えたらしく、独身である私にいろいろ言ってきた。

(正直、お金のことも含めて。たかられたわけではないが、

既婚の姉には言えないから…と)

姪(両親にとっては孫)もいるし、頑張るって父が言っていた。

結婚もしていない・子どももいない私はとても複雑な気持ちになった。

 

脱線したが

今日も、配偶者や子どもであろう人に付き添われている人を

いっぱい見かけた。それはそれで苦労があるのだろう。

かなり重そうな症状の小さい子どもが患者で、親が連れてきている人もいた。

 

病院側の苦労も垣間見える。

「ここに並んでください」と言っても聞かない患者。

「順番違いますので、この列の最後に並んでください」と言っても

怒ってきかない患者。

耳が遠いのだろう患者に大声で説明している受付職員。

 

愛想がいい人、悪い人、フラットな人、いろんな人が働いているなあと

改めて感じた。

 

病院行くと、短時間でも疲れる。