欧州の法律が示す、もう一つの視点
鈴木先生との対話から、もう一つ考えさせられたことがあります。(鈴木先生は定時制や夜間高校などで40年以上指導をされてきた方です)
引きこもりの背景に不登校があるとすれば、そもそも不登校をどう位置づけるかという問いが浮かびます。日本では「本人・家庭の問題」として扱われることが多い。でも、世界はそう考えていません。
ロンドンに住んでいた時学校への出席が非常に厳しかった。義務教育を受けさせない親は逮捕されると言われました。
英国では2024年8月、学校の無断欠席に対する法律が強化されました。5日分の無断欠席で親に罰金が科され、21日以内に支払えば£80、期限を過ぎると£160。同じ子どもに3年以内に2度目の罰金が科された場合は自動的に£160になります。それでも改善されなければ治安判事裁判所での起訴となり、最大£2,500の罰金、あるいは最長3ヶ月の禁固刑まで規定されています。
英国だけの話ではありません。フランスは3歳から16歳が義務教育で、欠席が子どもの教育を損なうと判断された場合、最大2年の禁固と€30,000の罰金が科される法律があります。オランダは無断欠席1日あたり€100の罰金。スペインでは悪質なケースで親権剥奪まであります。オーストリアは3日以上の無断欠席で罰金または最長2週間の禁固刑が科される場合があります。
厳しいと感じるかもしれません。ですが、この制度の根拠を理解すると、単なる厳罰主義ではないことがわかります。
欧州の義務教育強制には、二層の思想があります。
一つは経済的合理性です。
不登校が中退につながり、中退が失業につながり、失業が社会保障依存につながる——このパイプラインを早期に断ち切ることが、長期的な社会コストの削減になるという認識です。早く介入するほど安く済む。これは感情論ではなく、財政の論理です。
もう一つは子どもの権利論です。欧州では「教育を受けることは子どもの権利であり、親がその権利を妨げることは権利侵害にあたる」という考え方が制度の根拠になっています。子ども本人が学校に行きたくないと言っても、それを許容し続けることは親の義務放棄と見なされます。日本的な感覚では違和感があるかもしれませんが、子どもの権利条約の精神に忠実に制度を設計した結果です。
日本と欧州の最大の違いは、不登校をめぐる「前提」にあります。
日本では不登校は本人と家族の問題であり、社会は支援窓口を案内するにとどまります。欠席に対する罰則はなく、介入は本人と家族の意思に委ねられます。
一方、欧州では不登校は社会の損失であり、かつ子どもの権利侵害として、国と自治体が積極的に介入します。
この根本的な発想の違いが、長期的な数字に影響している可能性は否定できません。
内閣府の2022年度調査では、日本の引きこもり人口は約146万人と推計されています。40〜50代が最多層であり、10年以上にわたって社会から断絶した状態が続いている人が非常に多い。不登校が引きこもりへと移行するプロセスを、制度として止める仕組みが日本には薄いのです。
もちろん、欧州型の罰則をそのまま日本に持ち込むことが正解だとは思いません。文化も制度も違います。ドイツの研究でも、罰則だけでは不十分で、多次元的な支援体制の構築の方が効果的だという専門家の見解が出ています。
問いたいのは、日本は「不登校は個人の問題」という前提を、本当に検証したことがあるのかという点です。
欧州が財政論と権利論の両面から「社会の問題」として制度設計している事実を前にして、日本の現在の立場は思想的選択なのか、それとも単なる惰性なのか。
40年間、定時制高校で不登校に近い状態の子どもたちと向き合ってきた鈴木先生の言葉は、制度の外側からその問いを突きつけていました。
支援するだけでなく、社会が不登校を「起こさない設計」を考える時期に来ているのかもしれません。
同時に不登校にさせない魅力ある先生と、教育体系、小人数指導、好奇心や可能性の目を詰まないで伸ばす、先生との信頼関係、友人との良い関係など子供と教育を取り巻く環境全体を組みなおす必要があると思います。
戦後の牢屋と軍隊式をベースにした教育は、今の子供達の脳にOSに合わず、バグが起きている状態だと思います。