モード誌編集者歴35年の平工京子です。

 

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プロローグ

 

 

ダイヤモンド赤い表紙のパリ地図を握りしめて

からの続き

 

 

きょうは、かつて

表参道のランドマークだった

ハナエモリビルの思い出話。

 

2019年2月の投稿を

一部、加筆修正して

再アップします。

 

 

宝石赤 宝石赤 宝石赤 宝石赤 宝石赤 宝石赤

 

 

昔々、表参道に

「ハナエモリビル」という

おしゃれの殿堂がありました。

 

 

 

(本当はそれほど昔の話では

ないのですが…。)

 

 

通りに面した大きな横長の

ショーウィンドウには

さまざまなポーズをとった

モードなマネキンたち。

 

 

物語を感じさせる背景と、

彼女たちがまとっている

最新のファッションは

いつも季節の移り変わりを

教えてくれた。

 

 

1階の左側には、

カフェ「花水木」。

自然光がたっぷり入る

ガラス張りの、奥に細長い空間。

 

 

窓際は打ち合わせの指定席。

少し時間が空いた時に

すぐ食べられたカレーライス。

 

 

傘や、スカーフや、

バッグのコーナーを回遊したら

正面のエスカレーターで2階へ。

 

 

降りてすぐの右手の小部屋には、

クチュールの洗礼を受けた

華やかなロングドレスたちが

クローゼットにぎっしりと並び、

夜会への招待を待っている。

 

 

5階は、「ザ・スペース」。

数えきれないくらいたくさんの

ファションショーを見た場所。

 

 

4階には、

フランス料理のレストラン

「オランジェリー」があった。

ここは、格式が高すぎて

あまりご縁がなかったけれど。

 

 

そして、地下1階は

「アンティークマーケット」。

 

 

ヨーロッパの蚤の市で見るような、

ガラス器や時計、ジュエリー、

人形などを扱うお店が軒を連ねていて。

 

 

眺めているだけで、

そのものたちがもともといた世界へ

引き込まれるようだった。

 

 

 

 

上の写真2点は、

ありし日の「ハナエモリビル」。

PHOTO/板橋啓介

 

 

 

表参道のランドマークだった

「ハナエモリビル」

「オーク表参道」に姿を変えてから

5年が経ちます。

 

 

このビルには「インター」

呼ばれていた、

ハナエモリ・インターナショナルの

ヘッドオフィスが入っていて、

 

 

系列会社である『流行通信』

社員だった私には

何かとゆかりのあったビルでした。

 

 

何気ない日常。

いつもそこにあると思っているもの。

 

 

それは永遠ではなく

時とともに移り変わっていきます。

 

 

それはちょっと寂しいですが。

 

 

でも記憶は私の中にあって、

私の一部になっている。

 

 

クチュールのものづくりとか、

昔、活躍したデザイナーとか、

ものの背景にあるヒストリーとか、

ユニークな人たちのこととか。

 

 

私は、私にしか語れない、

ファッションの物語を

語っていければ、と思っています。

 

 

 

ダイヤモンドインターでの出来事

へ続く