この世界の片隅に | いつからでも人生は変えられる

いつからでも人生は変えられる

夫婦関係で悩み
子育てで悩み
不登校、非行で悩み
嫁姑で悩み、長男の嫁の重圧に苦しみ
いろいろ、あってのいまです。
生き抜いた30年の時間は
無駄ではありません。
だからあなたも生き抜いて

世代を繋ぐ架け橋
ヒーリングカウンセラーの
ルーシーです。

昨日は、
久々に映画を見て来た
この世界の片隅に

あまり映画を観ない私が
なぜ観たか

それは、
舞台が
広島と呉だったから
でも、その理由で観ただけなのに
観終わって
いつまでも、漣のように
余韻が押し寄せるのは
何だろう

私は、呉でうまれ
広島で育った
父方の祖父は、早くに
亡くなっているが
海軍工廠の先生で

母方の祖父は、
あの潜水艦  大和を作った人

幼い頃
親戚の野崎のじいちゃんに
可愛がってもらい
よく宮原の丘の上から
潜水艦を見ていた

母は、呉の山の上で
焼夷弾をよく見たそうな

その母も昨年亡くなった

医学生だった父は
原爆投下の日

腹痛のため呉から広島へ
行く予定だったのを
止めて  原爆にあわずにすんだ
祖母は、
原爆投下の瞬間
汽車に乗っており
トンネルに入っていたため
死なずにすんだ

その後 父は、
救護班として
広島に入り
原爆にあった人々の
救護活動に奔走する

そのために
原爆手帳を持っていた

そんなことを
少しは、聞いていた私

みんな亡くなって
もう、いない

でも、両親や祖父母の
話の記憶と重なり

主人公の
ぼんやりした性格は
私のようだった
私が戦時中生きていたら
あんな感じだろうなぁ〜

この作品は、
不思議としか言えない

まるで

お爺ちゃん
お婆ちゃんに

偶然、お彼岸に
観たこの作品で

会いに行ったかの
ようだった

まだ、わたしが小学生のころは
SLが走り
それに乗って祖母と
呉にたまに行っていた
呉は、私のこころの
故郷なんだなぁ

戦争を体験したわけではないが

戦争を生き抜いてきた世代を
親に持つ 私たちが
若い人たちに
何を伝えていくのかを
改めて考えさせられた


それとともに、

亡くなって
一年を経た今

母を亡くした
寂しさと悲しみが
やっと感じられて

私のなかで
やはり
祖母や母が
どんなに大切だったかを思う

私も還暦を迎え

もしかしたら
ここからは、
オマケみたいな人生かなぁ〜
なんて思ってみたりする。

だから、もっと自由で
もっとやりたいことやって
幸せに生きたい

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お母さん
ありがとう