月華の薔薇~rose fleur de lune~ 



 オスカルがまだ近衛隊隊長の頃のお話。 


 オスカルはアンドレが自分の事を慕っているのをもちろん知っていて…。 


 フェルゼンへの思慕も終わりを告げ、自分の中の女の部分を認めざるを得なくなった頃の、

AOの、とある夜の、


甘い1日…



♥️中森明菜様の「月華」を聴きながら、書きました♥️ 





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あの日。 






 「もう…どこへも嫁がないぞ……一生…」


 長椅子でアンドレにもたれ、彼の漆黒の瞳を見上げそう囁いたオスカル。 


 そして、そのまま、すうっと、安心するように彼に身を預け、眠りについた黄金の流れるような美しい髪の女神。 


 その言葉だけで。アンドレの心は浄化され、聖水で清められたような気持ちになった。 



 (俺は…それできっと充分だよ…オスカル…。そのお前の思いだけで、俺はお前を守れる) 




 あの日から少しして、 

2人は同じ日に非番になった。

 非番の前夜。


 オスカルの部屋にショコラを持って行くと、オスカルが悪戯顔で美しく微笑み、クローゼットからロゼワインを持ち出し、アンドレに見せる。 


 「どうしたんだ?それ」 


 その問いに、ふふ、と口角を上げ 


 「さっき、ワイン庫からこっそり持ってきた。先日、姉上様から贈られてきた何本かの内の1本だ」 


 アンドレは肩をすくめて、お手上げの仕草をしショコラをテーブルにそっと置いた。 

 「知らないからな。明日怒られるのはきっと俺だぞ」 

 そう言いながら、アンドレはお仕着せのポケットから携帯用のコルク抜きを持ち出した。 


 それを見つけたオスカルは、長椅子にもたれ大笑いをする。 



 「あはは!なんだ?アンドレ!用意周到じゃないか」 


 「こんなこと想定内だからな。いつもポケットに忍ばせてるよ」 


 「さすがだ」 


 オスカルは、ボトルをアンドレに渡すと、レースのカーテン越しに部屋に落ちる月光(つきあかり)の方へと足を向けた。


 今年は随分と長雨が続いていたが、久しぶりに昨日から雨が上がり、明日も晴れそうだ。 


 窓辺に手を添える。 


 蒼く煌めく瞳の中に、見上げた満月が写る。 

 そして、黄金色の波打つ彼女の髪が、月に照らされまるで月華のように、1本1本、輝いていた。


 その後ろでワインをグラス2つに注ぐ音がして、アンドレが近づく。 



 ブロンドの女神に近づくと、ワインの香りよりも彼女が湯浴みにつけた、摘み立ての華やかな薔薇の香りの方が勝り、アンドレの嗅覚を刺激していた。 



 「オスカル…どうぞ」

 アンドレがワイングラスを彼女に差し出すと、



 「merci」と、

微笑みアンドレが持つ、もう1つのワイングラスに重ねキン、と軽く音を立てた。


 オスカルのグラスの中に、満月が浮かんでいる。 


 「ずっと雨だったから…もう満月になっていたんだな…アンドレ」 


 「ああ。そうだな。…美しい月だな」 


 アンドレは彼女の傍らに近づくと、隣で一緒に満月を見上げた。 


 「アンドレ」 


 「うん?」 


 「明日は共に非番だが、お前は用事はないのか?」 


 「おばあちゃんから何か頼まれ事があれば用事はあるかも知れないけど…」 


 それなんだが、と、オスカルはワインを一気に飲み干し、アンドレにおかわりを差し出す。


 「母上がばあやに言っていた。アンドレは衛兵隊でずっとオスカルに随行しているから、非番の日位、身体を休ませてあげて欲しい、オスカルとの仕事の話もあるでしょうし…と。それでばあやは、渋々了解したそうだ」 


 「…それって…後が怖いなあ」

 オスカルのグラスにワインを注ぐと、彼女に渡す。しばらく、2人は真夜中の麗しき月光を見上げた。





 月が明るすぎて、2人の後ろに影が出来る。


 


 「今宵は月夜の明るさで、今からでも外に出れそうだ。

アンドレ、母上の薔薇園の東屋まで歩かないか?」 


 「え…?」 


 「ほら、ワインを持って」 


 「月明かりって言っても、足元は暗いぞ?」 

 


「こうすればいい」



 そう言うと、オスカルはアンドレの片手を握った。 


 「お前はボトルとグラスを持っててくれ、アンドレ。私はそのおまえの前を歩く」 


 「ちよ、ちょっと待って、オスカル」

 アンドレが白い手を握った。 


 「どうした?」 


「6月始めと言っても、夜は肌寒い。特に今年は。何か羽織るものを用意するから、少し待ってて」 


 そう言うと、アンドレはオスカルのクローゼットからカシミアのロングショールを持ってきて、彼女の華奢な肩に掛けた。 


 「ほら、オスカル。羽織って」 


 「私は大丈夫だ」 


 「だめだよ。風邪を引いたらいけないから。掛けないなら、東屋まで行かないよ?」 


 「……わかった…」 


 渋々と

オスカルがショールを羽織り直す。


 アンドレはにっこりと笑った。 


 その笑顔が、月の白い光に優しく照らされて、オスカルはドキリとする。 




 胸が熱くなる。 


 小さな時から、ずっと見ていた顔が、大人になり、精悍でいて、そして穏やかで。 


 ハンサムな一人の青年に変わっている。 




 では…私は? 


 私はどうなんだろう? 


 オスカルは彼の手を引きながら、ふと考えた。



 私は…女性とも男性とも呼べぬ生き方をしてきた。 


 男だと信念を持ってきたが… 


 恋に翻弄され、そして…女性なんだと思い知らされた。 


 アンドレから愛の告白を受け…。彼の苦しみを知った。 


 いや。知っていたのに、ずっと見て見ぬふりをして、 



 それでも…アンドレを手元から離せなかった…。





 兄妹のように育ち、笑い、語り合い、


 …それは私だけがそう思っていただけで。 


 アンドレは、ずっと長い間苦しんでいた。




 オスカルは歩きながら、アンドレの手の温もりを感じながら、ずっと自問自答を繰り返していた。 




その時


 「あっ!」 


 ずっと雨が降り続けていた庭園の石畳が、まだ乾ききっておらず、オスカルがうっかり滑りそうになる。 

 「オスカル!」 

繋いだ手が、彼女の脇を瞬時に抱えた。


 「オスカル、大丈夫か?まだ濡れてるだろう?気をつけて」 


 「あ、ああ。すまない…ありがとう」 


 「結構明るいな、今夜の月は。もうすぐ東屋

だ」 



 逆にアンドレがオスカルを引いて、


白く光る石畳を東屋に向け歩みを進めた。


 大理石で出来た東屋のテーブルに座ると、 


 周りは豊潤な薔薇の香りが立ち込めていた。 


 月明かりに、庭の薔薇がふんわりと輝いていて見える。 


 まるで、薔薇の花々だけが其処にあるように浮かんでいる。ショールを纏い、オスカルはアンドレからグラスを受け取って、月光に浮かぶ薔薇の海を眺めた。



 周りの森も輪郭が判る程、月の明かりに照らされている。 


 「この世のものとは思えない美しさだな、アンドレ」 


 ワインを飲みながら、静かに囁く。アンドレは東屋の柱にもたれかかり、目を閉じた。 




 「フクロウが遠くで鳴いてる」 

 アンドレはそうひとりごちて、ワインを飲む。 


森が

ザザッと風で揺れ、その風が東屋までやってきた。 


 オスカルは薔薇と月明かりをゆっくり交互に見つめ、ショールを首もとまで巻きつけた。 


 「寒いか?オスカル」 


 「大丈夫」 

 そろそろ夜12時を回る頃だろう。ワインを飲む位では身体は温まらない。 


 少し肌寒くなってきた。


 その時…アンドレの香りが背中からふわりと香ってきた。 


 彼が脱いだお仕着せの上着がショールの上から掛けられる。 


 「やっぱり肌寒くなってきたな。帰るまで羽織っててくれ」 


 「アンドレの方がシャツ1枚になるではないか。おまえが風邪を引くぞ」


 「心配するな、俺は大丈夫だから」 


 不服そうに横に座ってきた彼を見上げると、漆黒の彼の瞳が月明かりで煌めく。 



 美しい…そのおまえの目…。 


 たった1つになってしまった…。


 私を見つめるその瞳…。 


 もう、彼からこれ以上、何も失わせたくない。


 何ひとつも…。 


 私の為に…。 



 そう思うと、ひとしずくの涙が彼女の蒼い瞳から流れて、お仕着せに落ちた。 




 「あ…すまない…」


「いいよ。でも何故泣くんだ?何か辛い事でもあったか?」 


 「……何も…。ただ、大切なものをこれ以上失いたくない…そう思ったら…どうしてだろうな…涙が…」


 オスカルが言い終える前にアンドレがゆっくりと華奢な身体を抱き締めた。 




「…ア……ンドレ…?」 


 「俺も…大切なものを失わせたくない…おまえから…」 


 「どう言う意味…」 


 アンドレの腕がオスカルを、更に抱き締める。衣服の上からでも、アンドレの身体の温もりが判る程に。


 「意味…?言った言葉が全てだよ、オスカル。おまえの悲しむ顔は見たくない」 

 その優しい声に、オスカルは抱き締めた身体から右手を動かし、アンドレの左目にそうっと触れた。 

 



「オスカル…?」


 「アンドレ…。私のせいでおまえが傷つき、失わせてしまったものはたくさんあるな……。私と一緒に居たせいで」 


 「それは違うよ」 

微笑むと、

アンドレはオスカルの額にキスをした。 



 「俺はおまえと一緒に生きている事が一番の幸せなんだ。だから…俺を勝手に不幸に思わないでくれ」 


 満月が、一番高く昇るこの時間。 

 アンドレの腕の中で、


月明かりに白く照らされた彼女の素顔。


そして、蒼く、瞳の中に星座を潜ませているかのような輝きが、ひとつ微笑むと癖のある黒髪に顔を埋めた。 



 「ありがとう…おまえが傍にいるから、私は自分らしく生きてゆける」 



 「……そう?そうだったら嬉しいよ。ありがとう。こちらこそ」 


 「もう少し…こうしていていいか?…抱きしめていてくれ…温かい…おまえの…」 


 ぎこちない声でオスカルは懐かしい香りがする男の腕の中に、もっと身体を寄せた。 


 アンドレが体勢を変えて、抱き締め直す。 


 そして、黙って頷いた。 





 何処かで。 


 フクロウが鳴いてる。


 月も西に傾き始めた。 



 1時間はそうして居ただろうか。気がつくと、オスカルは彼の腕の中で静かに眠りに落ちていた。 


 それを見届けると、オスカルを抱き上げワインとグラスは東屋に残したままオスカルの私室へと歩き始めた。 


 その足元を照らすように西に傾いた月が、より一層アンドレの進む石畳の道を明るくする。




 アンドレは、月を見上げ呟いた。




 「月よ……俺の美しい薔薇を照らしてくれてありがとう……いつまでもオスカルを照らしていてくれよ…」 

 そう言い抱き上げた、薔薇の香りがするオスカルの唇に、 


 そっと口づけた。 



 そのふたりを青白い月だけが見つめているかのようであった。






 ~月華の薔薇~ 


 fin 



 2024年4月5日書き下ろし