caresse~愛撫~


中森明菜様の「愛撫」を聴いていたら、ふと浮かんだお話です。






~✨~✨~✨~✨~✨~✨~✨~✨~✨








些細な事で、口論となってしまったオスカルと、アンドレ。

それは

馬車が襲撃を受ける朝の事だった。




まさか。

その後、こんな事になろうとは。

アンドレの忠告を真に受けていれば…

こんな事にはならなかった…。

アンドレの身体を

こんなに傷つける事にはならなかった。






オスカルとアンドレは、ジャルジェ家の馬車でフランス市民の暴漢に合い、
フェルゼンの助けで、命からがら騒動の渦から離れる事が出来た。

辻馬車を拾い、意識が混濁しているアンドレを
血の付いたオスカル自身の手で抱きしめ
何度も馬車の中で


血の気が引いて行く、青ざめた男の
名を呼んだ。


震える声で。

何度も。

何度も。








暫く安静を、とラソンヌ医師から言われ

動かせない身体に、
激しい痛みに、
痛々しい包帯姿に。
アンドレは
苦悶の顔を時折みせる。



黙々と治療をしている医師と看護婦の姿を呆然と見つめながら、
ベッドに横たわる包帯まみれのアンドレの
節太く、だが、
しなやかな指を、掌を
オスカルは、自分の手に包んでいた。

蒼いその眼には、幾重にも涙がこぼれ落ちている。

「アンドレ…」



訝しそうに看護婦はその様子を見ていたが、ラソンヌ医師に、他言無用とたしなめられ、
看護婦に退席するように促した。

「オスカル様、大丈夫でございます。打撲が酷いので回復に少し日数が掛かりますが、命には別状ございません」

オスカルはアンドレをじっと見つめたまま、
ラソンヌ医師に
「先生、本当にありがとうございます。私に何か出きる事があれば、教えて下さい。今回の事はすべて私の責任です」
と、力ない声で言う。


「…パリは、今とても危険な状態です。お出かけになられる場合は慎重に…」

オスカルの問いかけとは違う答えをした医師に、アンドレを見つめたままのオスカルは、はい、感情なく返事をすると

「包帯は毎日代えれば良いですか?あと、消毒液はありますか?塗り薬は…」

「オスカル様…」

「はい…」

「本当に貴女様がアンドレの介抱をなさるのですか?」

「私の責任です。お願いいたします。やらせて下さい」

少しお待ちを、

と医師が退席して暫くすると、

オスカルの母親。
ジョルジェット婦人が現れた。

「母上…」

「オスカル。アンドレの治療部屋を、オスカルの部屋の近くに移動致しましょう。貴女の辛さは、判りました。お父様とばあやには私が話を致しますから、安心してアンドレを見守って下さいね」

反対されると思っていたオスカルは、
大きく眼を見開いて、母を見上げた。

「母上…」

「ずっと、そうやってアンドレの手を握りしめているのですね。アンドレも安心する事でしょう。
ただ、貴女もちゃんと治療をするのですよ?傷が顔に残らないように…」

「はい…」

「貴女はいつも、自分の事は後回しだから。侍女たちも貴女のサポートをさせます。それは宜しいですね?」

そう言うと、母は手に持っていた沢山のリネンを、背後に待たせていた侍女に渡して部屋を出た。

「オスカル様…」

「ありがとう、リナ。それは、あのテーブルの上に置いててくれ」

「畏まりました。それと…もう少ししましたら、屋敷の男衆がアンドレをベッドごと、オスカル様の二部屋隣の、空き部屋に移動致します。いま、そのお部屋を侍女たちが片付けて、暖炉に灯を入れておりますので、暫くお待ち下さいませ。
移動が終わりましたら、奥様から、あちらの部屋へ食事を運ぶように仰せつかっております」

「ああ……すまない…。色々と。礼を言う」

ベッドの傍で話している声が意識を目覚めさせたのか、アンドレが少し呻いて、薄く眼を開いた。

「ア……アンドレ……アンドレ!?」

「オ…オスカル…痛ッ!」

包帯を頭に巻いているオスカルをみたアンドレが、痛みを堪えて、ベッドから上半身を上げようとした。が、激痛でベッドに崩れ落ちる。

「アンドレ!まだ起きてはダメだ。お前は全身打撲で、全治三週間の安静だ」

「オスカル…」

「なんだ」

「頭の包帯は…」

オスカルはアンドレの手を握り返し、

「私の方は軽症だった。大げさに包帯を巻かれたせいだ。案ずるな」

と、静かに手を握り、囁く。

「アンドレ。痛み止めを先生が処方して下さった。先ほど飲んだから、少し眠くなる筈だ。看病は私がする」

「おまえが?」

「ああ。まあ、私も治療をしないといけないし、侍女の手は借りねばならないが。だが。
この騒動は私の責任だ。朝、馬車の事で、こんな装飾の馬車は、今のパリでは危ないと言われたのに……。
ちゃんとおまえの忠告を、しっかり理解していれば、こんな目には合わなかった…」

「起きた事は仕方がないよ…。おまえが殺されなくて…よかった…本当に…」

「アンドレ…」

「だけど…」

アンドレは痛む腕を少し上げ、オスカルの頬に触れた。

その手を、白いしなやかな手が包む。

「だけど?」

「オスカル、おまえの包帯が痛々しい…。すまなかった」


オスカルはゆっくり、首を振る。

「なぜ、おまえが謝る」
「俺が守り切れなかった」

「アンドレ…。2人とも、生きてここに戻れた。
それでいい…。私はアンドレが生きていてくれてよかった…。もし…もし、何かあったら…わたし…は…」

オスカルはアンドレの大きな掌を包み、その手に口づけた。

思わず。そうしていた。





先日。

ジェローデルから、愛の告白を受け。

そして。

アンドレが持ってきたワインに毒らしきものが入っていて。



私たちは、少しずつ変化をせざるを得なかった。

互いに、これ以上深く関わる事への、


罪悪感。


だが。

いざ、アンドレが重症を負って、わかった。





わたし…は…。

アンドレが必要だ。

従者だからではない。

幼なじみ、だからではない。

ではなんだ?

何故、こんなにもアンドレが必要なのだ…。

襲撃に合い、アンドレが民衆に襲われて、姿が見えなくなってゆく、あの光景はまるでスローモーションの色のない場面に見え、オスカルはアンドレの名前を叫び続けていた。

アンドレが死ぬかも知れない。

殺されるかも知れない。

失うかも知れない。


それはまさしく。

恐怖以外の何者でもない、感情だった。






「アンドレ…」

オスカルは、我にかえって

彼をみた。


薬が効いたのか。
既に、深い眠りについている。

ただ、あちこちに巻かれた包帯やガーゼが痛々しい。

「アンドレ…。わたしの…」

あの時叫んだ、あの言葉が胸に沸き起こる。

アンドレには聞こえない。

瞳を閉じて、眠っている。


その唇に。


オスカルは、己の眼を閉じ

アンドレの、その柔らかい唇に、そっと口づけた。







それからは。

アンドレが回復し、隊に復帰出来るまで、オスカルも怪我の治療と言う事で休暇を取り、

侍女にも手伝ってもらいながら、アンドレの付き添いを一日中している。

医師たちが来ると、アンドレの状態を最優先に聞き、自分の治療は後回し、と言う事はざらであった。

「オスカル…」
襲撃から一週間経ち、少しずつではあるが
アンドレは上半身を起こせるようにまで回復していた。

「どうした?アンドレ。もう少ししたら昼食だが…」

「おまえの怪我は大丈夫なのか?」

「ああ。頭の包帯は取れただろう?後はちょっとした打撲だけだ」

「そうか…。よかった…」

アンドレは安心したように大きく息を吐いた。

「打撲は背中なんだが…。見るか?」

「え?」

上半身をベッドで起こしていたアンドレは、驚いて顔を上げた。

オスカルも、自分で
何を言っているんだろう、と思ったが

気の知れた仲だからこそ、怪我の共有をしたい。
何故かそう思った。

(気の知れた仲…か…。そういう言い回しが妥当かどうかも私には、今はわからない…)

オスカルはアンドレに背中を向けてアンドレが居るベッドサイドに座り、クラバットをほどくと、
ブラウスをゆっくり脱いだ。

「私には見えないから…。どうなっているか教えてくれ」
オスカルは小さく呟いた。

治療中のため、コルセットは着けていない。







抜けるように白い。

透明感のある、真珠のようなオスカルの白い背中が露になり、その肌に棒で殴られたような打撲傷が2ヶ所、紫色から黄色になりかけていた。

痛々しい傷痕。




「どうだ?アンドレ。見えるか?私には見えないから…。どうなっている?」

小さな声でオスカルが尋ねる。

アンドレは、指を伸ばしその傷に静かに、優しく、触れた。

オスカルがビクリと背中を揺らす。

身体中が次第に形容し難い熱を持ち始めた。

「痛かったろう?オスカル。軍人とは言っても、お前は女だ。おまえの身体に傷をつけられるのは、俺は辛いよ」

「左肩の古傷もまだあるか?」

何気なく聞く。


「うん…ある…」

「そうか…」

「オスカル」

「ん?」


「あの時の古傷…触れて…も、いい…か…?」


脱いだブラウスを胸に覆い、前を隠していたオスカルが、え?と、アンドレに振り向いた。

「あ…」

慌ててオスカルは再びアンドレに背中を向ける。

「アンドレ、触ってもいいぞ。どんな感じか私に教えてくれ」

そう言うのが精一杯だった。



アンドレの暖かい指が、左肩の古傷をゆっくりとなぞる。

擦るように。
指の腹で。

何度も。

何度も…。

まるでそれは、誰かから聞いた事のある

「愛撫」

の、ようだった。

オスカルの裸の背中が熱を持つ。

身体が熱くなる。

古傷をなぞると、アンドレは大きな掌で、その傷を隠した。

「痛々しいよ……。一生残る傷痕だ。こんな美しい背中に…」

「そうか…?」

「俺が代わってやりたい」

そう言うと、アンドレは自分の掌で隠したその傷にもう一度、指でなぞると、

己の唇を傷痕に当てて、優しくキスをした。

一度…


そして。

二度


三度と。


そのキスで傷痕が消せないか、そんな祈りのようなキスだ。

オスカルは黙ってその柔らかい口づけを背中で受けていたが、
次第に身体の奥が、じんじんと痺れ、
熱が高くなる錯覚を覚えた。

「ア……アンドレ…もう…いいか?…寒くなってきた」

ブラウスを胸に当て、オスカルは懇願する。

「あ…ごめん!」

「いや、いい。一生残る傷痕なんだな。これでは嫁には行けないな」

そう笑いながら、オスカルは胸元でくしゃくしゃに丸めていたブラウスを広げると、アンドレが真後ろでベッドに居るのも構わず
背中を向けたまま、ブラウスに袖を通した。



一瞬。

オスカルが腕を上げた瞬間。
アンドレの目に、彼女の白く穢れなく、美しい乳房が見えた。
アンドレは気が遠くなるような眩暈と、身体が急激に熱を持つのを感じた。



皺になったブラウスを着て、オスカルが立ち上がると、丁度、

昼食をお持ち致しました。

と、侍女が2人、オスカルたちの食事を運んできた。

「オスカル様、お召し物が皺になっていますが、着替えを御用意致しましょうか」

「ああ。すまない。頼む。…食事はここに置いたら下がっていい。私がアンドレに食べさせるから」

「ですが…」

「着替えは、私の部屋に置いていてくれ。ありがとう、もういいぞ」

畏まりましたと侍女たちは下がっていった。

「オスカル、俺は自分で食べるから」

「指が震えていた」

「…え…?」

「おまえが私の背中を触っていた時、おまえの指が小刻みに震えていた。まだ痛みがあるんだろう?」

真面目にオスカルはそう言うが、その真面目な顔を見つめて、アンドレは可笑しくて笑ってしまう。

震えていた理由はそうではない。
オスカルには判るまい、と。



「なんだ?」

「いや…、痛みは少しだけだよ」

「そうなのか?」

「ああ。背中を触ったのが初めてだったから、緊張した」

そう言えば、そうだ。


しかし。
どうして、今、アンドレに、自分の傷を見せようと思ったのか。

自分でも理解が出来ないでいた。



昼食を二人で食べ、
時折、スプーンでスープをアンドレの口に流し込む。
パンは、小さく千切り、口の端を切って、大きく口を開けられないアンドレの口元まで持っていき、
食べられる分だけ、ゆっくりと食べさせた。

時折。

二人の眼が合い混ざり、

口元に笑みが零れるようになっていく。

それがとても幸せな時間となった。




アンドレがベッドから起き、びっこを引きながらでも歩けるようになると、
オスカルは彼の腰に手を廻し、アンドレ杖の様に介添えをした。

母、ジョルジェットから見ても。

その二人の後ろ姿は、微笑ましくもあり、
何かとアンドレに文句を言いたがるマロンをたしなめ、
「これは主人オスカルが責任を感じて、自ら行動している事です。主従が逆でもいいではありませんか。あんなに、女らしい娘を、私は初めて見たような気がして、嬉しくてなりません。ね?ばあや」

そう笑い、復帰するまでは、二人をそっと見守って欲しいとマロンに頼んだ。



「アンドレ。だいぶ良くなったな。…本当によかった…」
杖を使ってオスカルの部屋を歩いていたアンドレが、その杖を置き、バルコニー手前に立つオスカルの方へと、ゆっくりゆっくり歩幅を進める。

「さあ、こちらにこい、アンドレ」

「ちょっと待って、オスカル」

「杖はもう使わないと約束しただろう?ゆっくりでいいぞ、さあ」

バルコニーから秋深い、乾いた風が流れ込み、
両手を広げ、アンドレが来るのを待つオスカルの、豊かなブロンドが、さわさわと左右にたなびく。


漸くオスカルの傍まで辿り着いたアンドレだが、最後に、足首の痛みが走り、よろめいた。

「あッ…!!」

倒れ込みそうなアンドレを、オスカルは広げた両腕と、身体ごと支えた。

「アンドレ…。もう…大丈夫だ。後は足首の痛みだけだ…よかった…」

体勢的に、抱き合う事になった二人。

オスカルは、アンドレの広い胸に顔を埋めた。

「よかった…。ありがとうアンドレ…」

「お礼を言うのはこっちだよ、オスカル。…ありがとう…感謝するよ」

胸の中でアンドレの香りを嗅ぐような仕草をした後、オスカルはしばらく彼から離れなかった。

少し冷たい秋の風。

二人の髪を混ぜるように吹いている。





「アンドレ…」

「なに?」

「伝えたい事がある」

胸の中でくぐもった声色のオスカルが喋る。



「ジェローデルと会って、身を引いてもらった」

笑っていたアンドレの顔が、眼が、

驚いた表情に一変した。

「…ど…どういう…」

「結婚話はなくなった、と言う事だ」

「何故?」

オスカルはしばらく黙っていたが、

「私が他の男性に嫁いだら、生きてはいけないだろう程に、私を愛してくれている…と」

「オスカル…」

「もし、彼が生きていく事が出来なくなるなら…不幸せになるのなら…私もまたこの世でもっとも不幸せな人間になってしまう。…そう伝えた」

オスカルは、アンドレの腕の中で顔を上げ、彼をみつめた。

「俺の…俺のために…」

フッと笑うオスカルがとても美しかった。

「アンドレ…。私はまだ自分の中で何が起きているのかわからない…だが、これだけはわかる」

そう言うと、オスカルの両腕がアンドレの首に絡んだ。


「オスカル…?」

アンドレの手が宙を浮く。
このまま抱き締めてもいいものか、ためらいがあった。

「聞いて、アンドレ。私はおまえ無しでは生きてはいけない。出会った時には既に定められていたのだと、確信に変わっていった。この怪我の付き添いをしていて、色んな事を考えた」

「…俺も…考えてた。結婚話は本当に苦しかった。だけど、おまえが献身的に看護をしてくれて、俺たちの絆は簡単には切れないんだと…」

アンドレの両腕が、ブロンドを撫で、身体を近く近く寄せあった。

苦しい程の。

オスカルは腕を緩めて、アンドレの顔を間近で見つめた。

美しいサファイアの瞳と、黒曜石の潤んだ瞳が


ゆるりと近づく。


アンドレは、彼女の瞼に口づけた。

そして、睫毛、頬、鼻筋へと下がり…。


それは

「愛撫」だとオスカルは確信した。




ずっとアンドレを優しく見つめた眼差しを捕らえ、

二人とも瞳を閉じ

口づけた。


アンドレは器用にバルコニーのドアを閉め、

何度も

何度も

愛しいブロンドの女神に口づけ


少し透けて見える、ブラウスの彼女の胸を

絹越しに口づけ、あえやかな声を耳にした。



「オスカル…いいか…」

頷く女。


男は、いとおしい身体を抱き上げ


寝所のドアを


音もなく


開けて



閉じた。








~ fin ~



caresse ~愛撫~