今日は隣県に住むおじいちゃんの誕生日で一緒に食事にいった。
こっちのおじいちゃんおばあちゃんには
子どもの頃よく面倒を見てもらってた。
いろんなとこ旅行で連れて行ってもらったり
いろんなとこ食事に連れて行ってもらったり
体験、習い事をさせてもらった。買い物も。
でも、
どんどん忘れている。
忘れているというかそもそも覚えてなかったり。
大枠は覚えていても細かいところって抜けてる。
子どものときの記憶。
わたしが小さい頃の思い出を楽しそうに語る
おじいちゃんおばあちゃんをみて
自分が覚えていないことに胸がギュッとなる感覚があった。
帰りに、
本当にお世話になったよな
愛もらってるよな
って思って涙が出てきた
いろーいろ理由はあるけど
家族でも面倒に感じるときとか
嫌な気分になるときとかあるじゃん。
そういうのが続くと、ネガティブな記憶が連動して出てきて
結果安易な方向に走ることがある。
安易な方向=相手を心から思いやってではない言動
相手を心から思いやることって、
「感謝」がないとできないんじゃないかと思う。
思いやりには「感謝」が土台にある。
安易な方向に走ってるときは感謝が弱くなっている。
感謝って「敬意」にも近い。
心理系の話では、思考よりも「今の感覚・感情を大事に」
っていうよね。
それはそうだと思う。
でもヘボい感覚・感情にガッツリ囚われるのは嫌かも。
(出てくるのは仕方ないが…)
大切な記憶とか忘れて直近の事象だけ見て
それに支配されている自分は好きじゃない。
そのヘボい感覚・感情がありつつ
思考で無理やり対応するのもなんか違う
となると根本にしっかり「感謝」がないと…だと思う。
自然な純粋な思いやりの気持ちが出てこない。
全然やらないけど、
たまにアルバム見返したり、思い出話したりするのって
そういう意味でわたしにとっては大切かもしれない。
あといろいろなことに対するありがたさを
都度味わったり。
…あ、でも「感謝大事」的なので
いっこ直近のざわざわ思い出した〜
明日書こ。
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帰りに梨とプリンくれたウマウマ