長いです↓


村上は近畿大学 文芸学部 芸術学科 演劇芸能専攻 を卒業しています。

10期生。

まだまだ古い校舎ばかりの東大阪キャンパスでした。


今日は、ふと思い立ち、31期生の舞踊卒業公演へ足を運びました。



近大マグロ以降、右肩上がりの近畿大学。

校舎もみるみる新しくなり、びっくりする設備の中で学ぶ見知らぬ後輩たち。


なにより、名前が「演劇芸能専攻」から「舞台芸術専攻」へ変わり…

私たちは有無も言わせず演劇、舞踊、劇作などすべてが必須なカリキュラムだったけれど

今はそれぞれ「系」と分けられて、演劇系、舞踊系…

自分の深めたいことを選べます。


これについては…

近い先輩ともちょっと話をしましたが

もったいないなぁ、と…


やりたくもないのに演技基礎を2年間必須でやり続けた日々

ろくに興味もないのに映像で小津安二郎について聞き続けた日

よくわからんけど照明プランを一応立てられる知識


全部、私はAwake Balletへ還元できました。

1人の後輩はそれらの土台を持って米アカデミーのレッドカーペットを歩きました。


細分化しちゃうと、ひとつの世界でグンと進み始めたときの強み、足場が小さくなるのにな、ほかを知ってる遊びって大事やけどな、というのは文字通りの老婆心のお節介か。


しかしながら、細分化していなければ今日の31期生卒業公演のような、出来上がった舞台は無理な産物であるというのは、観て明らかでした。


私たちの頃は舞踊基礎で身体育成という、修行僧のような、ひたすら稽古場を延々と列で動きながら移動する日々を過ごしました。


あれはなんでもない、ただ自分の体を知る日々。

重心、脚力、腕の長さ…

踊るためにも、演じるためにも、身体育成がかなりの財産となっていたことを知るのは、卒業して10年後くらいでしたが。


その身体育成をもって、自分の個性を青春という盾で庇いながらぶちまける卒業公演。

荒削り極まりない卒業公演。

1人1作品振り付けが絶対。


美しい踊りなんてものではなく、見苦しい、熱苦しい、けれどその人のその時がいっぱいに籠ってる数分。


それに対して今日の卒業公演は…

出演者全員で60分1作品。

美しく、力強く、見事に統率された舞台。


これが時代かぁ、と唖然としました。


どちらが良いって、たぶんどっちも良いのです。


私は演劇の卒業公演で卒業単位を取得したので、舞踊卒業公演には関係してないのですが…

出てたとしたら、どんな作品をつくってたのか。


1年生の最初のほうに「外へ出てクラシックバレエ捨ててこい」と教授に言われた日から、たっぷり時間が経ちました。

綺麗じゃなくていいんや、自由って有りなんや、踏ん張っていいんや、いろいろ体が面白く…

土くさい、青くさい、ろくに世間も知らないのに知ってる気で過ごしてる学生最後の年。


それをどう締めくくるか。


やっぱ、私は演劇芸能専攻卒業で良かったと、自負しておきます。


(だけど母校でジャイロキネシス®︎やバレエ、解剖学を教えたいというのはマジかなりの本音(笑))


この流れで、演劇の卒業公演も観に行こうかと。

ちょっとした絡みもあるので、それも縁かもと思いまして…

ということで、次は演劇卒業公演。