境界線型録 -2ページ目

境界線型録

I Have A Pen. A Pen, A Pen Pen Pen.


 もう日々の記録をしていないので、いつのことであったか記憶はないが、確か、薄曇りの一日のことである。
 どうにもやる気が湧かず、といって萎えきっているわけでもなく、空模様さながらのぼんやりした気分で、小さな駅のまわりを走り回っていた。小さな駅らしく、細かな客だらけで辟易気味と言っても良いが、遠出が嫌いな私には不快な状況でもなかった。記憶は淡いが、さほど寒くはなかったと思う。もちろん冬のこと、暑くはないが、もしかすると春が近いのか元わずかに希望をもたらすくらいの気候だったと思う。つまり、短い客だらけでうんざりしていたけれど、あまり不愉快ではなかったわけである。といって、言うまでもないが、機嫌が良いわけはなく、どちらかと言えば気分は腐りかけていたのである。
 そろそろ腐臭を放ちそうな気分を胸に小さな駅の乗り場に付けていたとき、目の端にこちらへ向かって小走りしてくる老婦人が見えた。
 また、来た。と思った。また、短そうだな、と思ったのだ。もっとも、長そうだな、などと思うことは滅多にないことだが。
 長かろうが短かろうが歓迎する気分にはなれないが、私は軽快に後席のドアを開けた。
 老婦人は、ちょっと息を荒くしていた。どこから小走りしてきたのかわからなかったが、心肺機能に問題がある人なのだろうか、と気になった。
 「ごめんなさい、ハアハア、ちょっとアレなんですけど、ハアハア、行って頂けますか」
 なにを言っているのか意味がわからなかったが、ほとんどの客はそうなので気にはならなかった。
 「ええ、大丈夫、行きますから安心してください。だいぶお急ぎですか」
 「いいえ、ハアハア。うちから走ってきたの。うちの方ではタクシーがないから。ハアー、電話で呼べば良いんですけど、ハアハア、番号が分からなくて、ハアハア、こちらに来た方が早いと思って」
 「ああ、それは大変でしたね。おうちからですか」
 「ハアハア、ええ、みみず野なんですよ」
 「えッ、みみず野からッ」
 みみず野は小さな駅の隣町だが、もっとも近い一丁目の外れでもワンメーターギリギリの距離である。ということは少なくとも、その老婦人は一キロ以上の距離を小走りしてきたことになる。しかも、どのようなルートを採っても、一度下って上がることになる。町の境は谷底だから、どうしてもみみず野を下り、小さな駅のカモノハシの方へ上がらざるを得ないのだ。しかも、最低でも上り坂が六百メートルは続くはず。老婦人はそのような地形を小走りして駈け抜けてきたのである。私は、涙が出そうなほど感動した。
 「それは大変だ。よしッ、お任せなさい。さあ、行きますよッ」
 「ハアハア、ハイッ、よろしくお願いしますッ」
 私はすぐさまシフトをスーパードライブモードに叩きこみ、足踏み式のパーキングブレーキを解除し、メーターの実車スイッチを押しそうになったが、どこへ行けば良いか聞いてなかったことに気がついた。
 「どちらへ行きますか。まずは、行き先が必要です」
 「あら、わたくしとしたことが、失礼しました。ハアハア、ああ、やっと落ち着いてきましたわ。なにせ驚いてしまって、ごめんなさいね。ええと、あのう、どこだったかしら」
 こう言うこともよくあることなので私は驚かない。家の場所すら忘れている人はいくらでも存在することを、私は車夫になってから知ったので、家の在処くらい忘れたところでたいした問題ではないと呆けてきた方々は安心して良い。そんな時はタクシーにでも乗りこみ、間抜けそうな車夫に「わが家はどこでしたっけ?」と問えば、ちゃんと最寄りの警察署へ連れて行ってくれるから。
 だが、老婦人がど忘れしたのはわが家ではなく、行き先であった。
 「お急ぎのご様子ですから、誰かとどこかで待ち合わせ、とかですか」
 「いいえ、待ち合わせではなくて、ああ、待ち合わせと言えばそうなんですけど。嫁が待っているんですの、一人で。日本人ではないから、心細いでしょ。だから早く行ってあげなくてはと思って。あああ、どこだったかしら、ハア」
 私は途方に暮れかけたが、次の瞬間、老婦人は歓喜の声を上げた。
 「お、思いだしましたッ。いッ、いッ」


 というところで話はこれからだが、久しぶりにキーを叩いて疲れた。キーボードに触れたのは二週間ぶりくらいのためか。その間、記そうかなと思ったことも何度かあったけど、眠ってしまった。カッキン車夫は、とにかく眠いのである。なので、ニッキンに変えようと画策しているが、営業サイドからも車夫仲間からも邪魔されていて上手くいかない。私を永久カッキン車夫にしようと目論んでいるのかもしれない。
 明日も謎めいた生物たちと触れ合う出動日なので眠いから、続きは、また今度。忘れていなければ、だが。




 車夫を半日で切りあげ、午後四時ころ稽古場に入ると、コロナ前のような活気が甦っていた。合気会の人たちが増え、合気道と偽ってやっている古流柔術系の人たちも顔を揃えていた。以前、私が土曜日に青少年や老人たちのご案内を担当していたころのような賑やかさで、ちょっと驚いた。昨日のことである。
 昨日は車夫としてフル稼働の予定だったが、先週の初めに海外の達人さんが遊びに見えるという情報が入り、急遽半ドンにして駈けつけたのであった。もちろん、当道場の門下たちがワイワイとやっていたのは、海外達人さんを囲んでのことである。一時間遅れでノコノコと現れた私と目が合うと達人さんがニコリとして、ご挨拶くださった。そのようにくだされてしまってはこちらも負けるわけにはいかずバシッとご挨拶を返したのであった。
 それからはいつものように呑気に稽古し、午後五時半ころみなさんとお別れした。

 今日も稽古で、少しは早めに行こうと考えていたが、録画しておいた午後ロードからスパイダーマンを眺めていたら、また遅刻した。
 手首から蜘蛛の糸を出せないか試しつつ稽古場に入ると、第一の弟弟子が寄ってきて、こっそり平べったい箱を私に手渡し、ひっそり耳打ちしてきた。
 「Oさんから。昨日は夜いらっしゃらなかったから、梅太郎さんにって」
 ちなみにOさんとは、海外達人さんの別名である。
 昨夜は達人さんとの宴会が用意されていたらしいが、私は知らず、先にさっさとご無礼してしまったのであった。夜の宴席で渡そうと思われていたらしいが、私はいなかったので土産物を弟弟子に託してくださったと言うことらしい。本当に気のきく方で、本当に気がきかない私は恐縮至極である。
 しかし、私はめげず、頑張って稽古した。次にお目にかかる日まで、稽古に稽古を重ねてコケコッコーとなり深化した梅式合気を愉しく観賞して頂こうと思うばかりである。

 前回からすでに一月半くらい経ち、昨日ふと思いだしたが、このまま忘れたふりをしておこうかなとも考えたが、稽古が愉しかったので、ついついまた記してしまった。このところ作文の手もかなり鈍ってきて、ひどい遅筆で記しながら眠ってしまうということが続き、日記もままならなくなっているが、やはり自分には文と武というのが性に合っているから、まあ、かつてのまま呑気に続けようと思った次第。これが、今年の抱負かもしれない。なにしろ車夫がコロナ明けしてからフル稼働が元通りになり、常時寝不足的な状態で、いつも眠い。といって、実際は寝不足ではなく、毎日きっと六時間から九時間は睡眠しているが、就眠と起床の時刻がマチマチのため、たっぷり眠ったという感覚が無いのである。車夫労働はきついと思われているのが相場のようだけど、本当のところはたいしてきついものではない。むしろ楽な部類と言って良いと思うが、生活時間が不規則にならざるを得ず、眠った感が得られにくくなるものらしい。そのため、いつも眠い感覚があり、昼寝までしてしまう。出番前はたいてい六時間くらい眠るだけなので、小一時間昼寝してちょうど良いくらいだが、休み前は九時間くらい眠っても、翌日はやはり眠くて、小一時間ばかり昼寝してしまう。つまり、小一時間の昼寝こそが車夫の証なのである。
 ま、それは私的なことで一般論ではないが、いつも眠くて、眠ってしまうわけだ。
 昨年末から私生活がやたら慌ただしく、どうも生活が更年期障害になっているようだと踏んでいるが、今年も疎らになると思うけど、まだまだ境界線上の思いを記していこうと考えている。できれば、この数年よりもちょっと異質なものにしたいとも考えている。いくらか情緒的にと言うか、お爺さんらしくと言うか、ヘンな感じと言うか、そんなものに。
 あ、バッテリーの追加悪口を記す気だったのに、また忘れた。
 が、仕方ない。

 と、記したのは一昨昨日のこと。年末年始はドタバタで、車夫も本格始動したためいつでも眠く、なかなか日記もできない。加えて、回線を光にしてからネット接続がすこぶる悪しく、特に夜になるとブチブチ切れる。更新がまばらになったのは、この影響も大きい。昨深夜も試みたが、不可だった。ADSLの方が安定していたのはなぜだろう? このPCでは未だにしぶとくWIN7を使っているせいだろうか。謎だ。今日は回線の機嫌が良いらしくつながっているので、とりあえず過去録したのであった。このため、昨日とか今日という表記は、とても分かり難くなっているが、が、これも仕方ない。

 もうひとつ、小さな変化もあった。
 昨暮れから、老母の面会に、私と同じ市内に棲息するイトコ(推定七十二歳・牡)が同行するようになった。老母は嬉しそうである。
 イトコはあまり裕福ではないが金儲けが好きで、いつも稼ぎのネタを考え、われわれに話し聞かせる。もう歳で、あまり面白いことができなくなった、というのが近頃の悩みらしい。幼時からちょっと奇異な生きものだったが、今もあまり変わらないと見えて愉しい。
 今日のところはこのくらいにして、またにしよう。




 しかし、今年に入ってからずっと気がかりでいたのは、七五三のことではなく、アビラッシュのことである。見かけばかりはまだ若々しいが、すでに齢十数年となり、いろいろガタが来ているに違いない。それでも、前の飼い主は屋根付きのガレージに住まわせていたようで、カリスマ美白おばさんみたいに素肌はいきいきしている。黒い樹脂部分はそれでも寄る年波は隠せず呆けだしてきたが、内臓系はまだまだ二三十年はいけそうである。
 が、如何ともし難く、避けがたい加齢による問題はあり、バッテリーとかタイヤとかは、どうしても何年かで交換せざるを得ない。その時が、そろそろやって来た。
 タイヤはピレリのやつで六年物らしく、そろそろ替え時だけれど、まだ少しは耐えられそうである。スタンドへ行くたびに、もうヤバいですぜ、旦那さん、と脅されるが、私の見立てでは、次の梅雨くらいまでは生き存えられると見ている。もう引退させても良いのだが、そこに溝がある限り、タイヤとしても働きたいのではないかと思うのだ。
 もっとも気になっているのがバッテリーで、実はこの夏辺りに倒れるのではないかと思っていたが、まだ電圧の劣化が見られない。カーステとして付けているFMトランスミッターに電圧チェッカーが付いているので、エンジンを起動する度に現在の電圧はこれこれですと表示し、アテにはならないがバッテリーの健康状態がそれとなくわかるようになっているのである。冬場もけっこう電力を消費するから、もう替えた方が安心だろうと考えているが、今朝も十四ボルトでーすと表示され、まだ大丈夫だろうかと悩んだ。が、やはり心配しつつ一冬を過ごすのは辛いから、年内に替えてしまおうと決意したのであった。

 そこで、ネットで適合バッテリーを調査した。もちろん、ケチな私は自分で交換するからだ。
 アビラッシュは日本の生産者製だが、製造されたのはハンガリーという異国のため、洋物用のバッテリーが使われている。もちろん、国産の互換ものはあり、今はエネオスの輸入車用バッテリーが搭載されている。で、それを探して買おうと検索したが、買いやすいサイトがなかなか見つからなかった。アマゾンにもないので、さらに互換品を探ると、ボッシュとかエーゼットにちゃんとあり安心した。が、本当に互換なのか確信が持てず、品番や型番を確認してみたが、これが各メーカーメチャクチャで、統一された単純明快な表示を解明できなかった。仕方なく仕様書きを眺めて、サイズと容量と端子の位置などを確かめ、ボッシュのやつを注文したが、間違いなく互換であるという確信は持てないままだった。
 この手のことはさまざまなところで感じるが、規格というものが未だにメチャクチャでグチャグチャなままなのかぁと呆れるしかない。わかりやすい例はコンセントプラグで、海外旅行などする気だと、どこそこの国に適合するアダプターなどを用意していったりする。が、コンセントとプラグの規格が世界共通でありさえすれば、そのような市場は形成される必要が無い。わが国は百十ボルトではダメで二百四十ボルトが必要なのだというならそれでかまわないが、なにもコンセントプラグまで独自にする必要など無い。が、なぜか国によってさまざまである。その必然性など、たぶん物理的にはなにもなく、昔からそうだったとか、政治的にその規格を維持する必要があると言うだけのことだと思うが、電気製品を使うという点では世界中で統一規格を採用してもなんら問題はなく、むしろ使用者の利便性を著しく高めるということしかもたらさないだろう。が、なぜか、誰も、世界中で統一規格を採用しませんか、なんてことを言わない。これは、実に不思議なことではないか。
 というわけで、バッテリーの品番とか型番みたいなものもわけがわかりにくく、消費者にとっては不便きわまりないものである。商品の差別化などブランドや品名でできるのだから、仕様を分かりやすく表記するためにある記号まで他と差別する必要など無く、世界共通にしてしまえッと私は憤慨したのである。バッテリーばかりではなく、ありとあらゆるところに同じ不快を覚えているので、本当に分かりやすい共通表記を実現してもらいたい。よほどのアホでなければ、その方が消費者の利便性が飛躍的に高まるなんて考えるまでもないことなのだから。
 けれど、なぜか、この世の表記は、メチャクチャでグチャグチャのままである。
 ということは、その方が、なにかしら都合が良いやつが、そういうことを維持するために努力してるのかな、なんて勘繰りたくもなる。
 ま、たぶん、業界団体や管轄する行政のやつらがみんな間抜けだからそんな状態のままなのだろうとは思うが。
 せめて、私が購入せざるを得ないものくらいは、世界共通に近い仕様表記を実現して、パッパと理解でき安心して注文できるようにしてもらいたい、と思うのであった。

 と、ここまでは先日記したが、バタンと倒れて眠ってしまった。
 もう長いから手短にするが、ここからが本日の本番である。
 つまり、久しぶりにウキウキ合気稽古をして愉しかったよ、ということである。
 主なターゲットは先日私の演武のウケをやってくれた人で、何年か前から他支部に入門し、親子で楽しまれていたようだが、今年から(たぶんだけど)こちらの方に移転され、お子さんはつまらなそうだが、お父さんは興味津々らしく、力バリバリでやっていらっしゃる。で、私のウキウキも気になるらしく、ウケたがっているようなので、今日ガツッとウキウキしてもらった。その時の嬉しそうな表情が気に入った。おっ、久しぶりの獲物だな、と。
 彼は身長十八センチくらいの大物で、中肉だがけっこう力が強く、ウキウキさせ甲斐がある。うっかりすると寄る年波のせいで身長十六センチくらいに縮んでしまった私は潰されてしまいかねないので、相手をするには神経をピリリッとさせておかなければならず、なかなか良い稽古になる。なんとか辛うじてウキウキコロコロさせて遊べたが、できれば一日でも早くこのような生きものにウキウキ合気を伝えておきたい。なので、稽古時間の半分以上は、彼にウキウキスキルを伝えるために費やしたのであった。他にも二人ほどウキウキ合気を獲得できそうな生きものがいるから、できればその三生体すべてに獲得して欲しいと願っている。私が今生において三つの生体にウキウキ合気を伝えれば、彼らもそれぞれ三つの生体に伝えてくれるかもしれない。さすれば、やがて九つの生体がウキウキでき、九つがさらに三つずつ伝えれば、えーと、九掛ける三だから、二十七だったかな、で、さらに二十七が三つずついければ、なんと、えーと、まあ、このような難解な計算は電卓に任せるとして、地球上の全人類がウキウキ合気を獲得する日は遠くないということになる。これこそが世界平和への道なのだ。みんなウキウキしてしまえば、バカバカしくて戦争などする気も無くなるに違いないのだから。
 いや、他の欲の方が強烈だから、争い続けるだろうけど、いくらかマシにはなるだろう。

 武道やスポーツの中で、合気というのは明らかに異色で、今日も何度も口にしたが、相手と衝突しない、まず受け入れ、相手の体を大切に預かるのだッというように、争わないための稽古をしなければ、まず理解も獲得も不可能な技を有する武術である。技というと身体技術と思われるが、たぶんそれだけでは無理で、西洋式にいうスキルという性質が重要だろう。そのスキルは、かなり宗教に近いという点も興味深く、二十何年やっていても興味が尽きない。
 こんな愉しみが、なんと無料でゲットできるのだから、本当にお得な武術だ、と私今でも感動している。しかも、奥深くてまだ何十年でも愉しめるに違いなく、死んでも秘密を解き明かせないままかもしれないほどのスリルに満ちている。やらないなんて、ソンである。とまでは稽古相手に説いたりはしないが、本当に合気道というものに巡り会ってラッキーだったなぁと思うのである。なにしろ、単なる筋力の問題ではないので、老いてもなお愉しみが尽きないのだから。ご先祖様方は、なんとも豊穣なものを遺してくださったものだ。
 などと考えつつ、現代の文明文化、政治だの経済だのを眺めると、どうにも情けなくなってしまう。金でしか問題解決の方法を思いつけないのだから。特に政治行政の無様さは記す気にもなれないが、後世に遺るくらいみっともないような気もする。
 ま、眠くなったから悪口はほどほどにしておこうかに。