一番最初に弾いたショパンはなんの曲だったかな・・子犬のワルツかな?ポロネーズかなぁ。

リストは覚えてるんだけどな。(”ため息”でした)

 

母がショパンが大好きで、必然的にちっちゃいころショパンのCDを沢山聞いていました。何を聴いてもなんか心が躍る、うっとりする、きらきらしてる、ていうのは幼心に感じていました。

ショパンを弾けるようになって、バラードとかスケルツォとかエチュードとか、中高生の時はたくさん弾きました。

 

でもその時って”弾く”ことで満足してただけかも、と今は思います。あのきらきらしたやつ、自分も弾けるように(実際”ちゃんと”弾けてはいないんだけど)なったぁ!みたいな拙い満足感(笑)

 

もう少し経って、ようやくその難しさに気づき始めます。ショパンって音の出し方も節回しもペダルもリズムも、全部一級に難しいじゃん・・これは選ばれた人だけが弾くやつだ、私には向いてないのかも・・とか逃げ腰になり始める。

なので一時期、ほとんどショパンには触れない数年がありました。

 

触れられないほどの高みに見えている、きらめく美しい音楽。

 

ショパンへの”あこがれ”はそうやって始まりました。

レパートリーを増やそうと再びショパンに挑戦し始めるけど、昔弾いた曲でもまったく手ごたえを感じられない。なんか違う、を繰り返してました。でもそうやってトライアンドエラーを繰り返すうちに、留学中に培ったものも生かしつつ、少しずつ少しずつ見えてくるものがありました。

いかにこまやかに楽譜が書かれているか、細部にわたるこだわりと美意識の高さ、してほしいこと、してほしくなさそうなこと、他の作曲家と何が違うのか、手や指使いをどうしたらはまるのか・・。

昔からよく言われていた、ショパンは左手が肝。左手が右手を歌わせるんだってことも。ようやく実感としてつかめるようになってきた。

 

書いては消し、書いては消し、を繰り返し一曲を仕上げるのに膨大な時間をかけたショパン。そんな簡単に弾けるようになるわけない。

ただきらきら綺麗なだけで、人の心をつかんでいるわけない。先はもっともっと深いのです。

ショパンは沼ですね。

 

弾き手や聴き手がここまで夢中になるのだから、他の作曲家だって例外ではなかったでしょう。

ショパンに影響を少なからず受けている作曲家たちは取り上げきれないくらいいます。今回は5月の気持ちの良い季節とふくよかなシゲルカワイ、そして親密な雰囲気のサロンに合わせて曲を絞ってみました。

かなり素敵な小品揃ってます。

 

 

センターピースになるのは、ショパンの英雄ポロネーズとリストの「葬送」。もともとこの葬送を弾いていて、中間部めっちゃ英雄に似てるなーと思ってたら、ショパンが亡くなったころに書かれた、ていうのを知り、この二つ並べてみたくなったのでした。葬送はウィーン体制で抑圧されてそれに反発して処刑されたリストの母国の友人たちを思っての曲でもあります。

 

国への誇りを高らかに歌う英雄と、その英雄たちが散っていく残酷さが生々しい葬送。

この上ないコントラストになっています。

 

5月13日、一緒にショパンにあこがれに来てください。まだお席ご用意できます。

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