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/YT YKTイエロー カード会社 34 43 (youtube.com)/

/【全話配信中】巨人の星⚾第145~150話「はばたけ不死鳥」「O.N魔球への挑戦」「伴の替りにきた投手」「グランドの孤独者」「起ち上がれ伴!」「刺客(しかく)志願」 (youtube.com)/

前の配信へのコメントにも書いたが、「巨人の星」で伴宙太が宙に放出された事情は「侍ジャイアンツ」の八幡太郎平(はちまんたろへい)と比べるとよくわかる。八幡先輩は番場蛮の魔球を捕れるというだけでレギュラーに残っていたが、打撃力が低くチームの足を引っ張ることになって、他球団からの誘いすらなく、一時は解雇されそうになった。それで番場蛮は八幡先輩を鍛える結果になった。八幡は打撃練習用投手のような「縁の下の力持ち」に徹すればよかった。星飛雄馬も左門に速球を打たれたあと「理想的なバッティング(連ʃ相手の)ピッチャー」と呼ばれた。原作で番場蛮が殉職したあと、八幡は引退し、母校・土佐嵐高校の野球部を指導。番場蛮の甥に番場蛮の3つの魔球を教えた。この魔球は巨人の現役の捕手でも捕れたので八幡は巨人に復帰しなかったようだ。

太田幸司は1952年早生まれ、星飛雄馬はプロ野球編では1951年度生まれで同学年。 1969年夏、星飛雄馬と伴が大リーグボール2号の練習をしていた とき、甲子園では太田幸司が活躍していた。ところが半年余り経った'70年春、大リーグボール2号は秘密を暴かれ、風前の灯火。太田が近鉄に入った'70年が飛雄馬の左腕投手の最終シーズンになった。もし飛雄馬が川上監督の命令に従って1969年のシーズンを1号で乗り切り、'70年1月のオズマ帰国のあと2号を完成させていれば、星はもっと勝ち星を稼げたし、'70年春の伴のトレードもなかっただろう。

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