原作は小学館『ド・ラ・カルト』によると学習雑誌『小四』1970年6月号掲載。

読者は1960年度生まれ。

 

1935_00 のび太の父「初代」のび助誕生(1945年で10歳と假定)。
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1945_10 6/10、女装したのび太が疎開中の父・のび助にチョコを渡す。
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1960_25_00 のび太誕生(1970年で10歳と假定)。
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1970_35_10 『小四』6月号「白ゆり~」掲載。
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1972_37_12
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1985_50_25_00 のび太の息子「2代目」ノビスケ誕生か(1世代25年と假定)。
1986_51_26_01 └→85年生まれだと、2006年にのび太と遭遇した相武紗季と同い年。
1987_52_27_02 └→2006年のアニメではのび太は相武紗季より10歳ほど年下だった模様。
1988_53_28_03
1989_54_29_04
1990_55_30_05
1991_56_31_06
1992_57_32_07
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1994_59_34_09
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1996_61_36_11
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のび太が1960年生まれで、1世代25年だと、2010年にのび太の孫が生まれる。

 

のび太の父・のび助とのび太の息子・ノビスケが読みでは同名なので、のび太の父を「初代」、息子を「2代目」としたが、のび太の父より前にノビスケと読む名前の先祖がいなかったとも限らないので、あくまで便宜上のものである。
「のび作」も野比家の歴史上、少なくとも2名存在した。

 

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「あとからアルバム」では のび太の小学生時代は1983年(昭和58年)なので、小4とすると1973年頃の生まれになります。それでのび助が小学生のとき戦時中だったらしいので、終戦の年で6歳だとしても劇中で44歳になります。 あと「はだしのゲン」では学童疎開は小学3年(8~9歳)以上だったようです。

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/#のび太世代

この話ののび太(8月7日生まれ)は今の徳仁天皇(2月23日生まれ)と同じ1960年生まれで学年は1つ違う。父のび助が明仁上皇や藤子・F・不二雄も同い年とすると、敗戦直前で小6、11~12歳。

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