/【全話配信中】巨人の星⚾第121~126話「泥まみれの背番号16」「大リーグボール二号のヒント」「川上監督の新作戦」「すばらしい兄・左門」「ズックのボール」「花形と姉、明子」 (youtube.com)/

この配信で戦争中の回想が2回出てくる。アニメでは原作に追いつかないように引き延ばしのため何かと戦争の場面が出てくる。 子供のころ再放送で「巨人の星」を見ていたとき、「また戦争の話か」と思ったものだ。 大リーグボール2号完成は1969年だから戦後24年。当時のオトナは戦争の話をしたくてしょうがなかったのだろう。今で言えば2000年(平成12年)当時の思い出話みたいなものだ。

 

ここで川上哲治が飛雄馬に背番号16を譲った理由がアニメオリジナルで描かれた。 豊福きこう氏によると、飛雄馬がもらった背番号16は、たとえ野球の神様の背番号とはいえ、所詮は打者のもの。しかも川上は投手としては失格の烙印を押された立場である。おかげで飛雄馬は入団早々千本ノックを受け、プロ3年目では球宴でさらしものにされた。 飛雄馬は巨人の復帰したあと、背番号3を受け取ったがこれは完全に打者、3塁手のもの。 もし飛雄馬が藤田監督や堀内監督のときに入団したらエースナンバー18を背負えたかどうか。

 

飛雄馬の早朝ランニング近道、一徹による殴打事件は飛雄馬が5年のときの2月で、推定1963年2月。一方、前の配信で出た飛雄馬8歳のときのギプス装着拒否→路地に放り出された一件は推定1959年。第1話は1957年暮れで飛雄馬は11歳。この辺に矛盾がある。

 

「ズックのボール」 「巨人の星」にしばしば出てきた「ズック」ということば、オランダ語のdoekからでキャンバス地(canvas)、帆布のことで靴や男子中学生の通学用の鞄などに使われた。原作でも一徹の現役時代のスパイクが「ズック製」だったりした。ところが堀井憲一郎氏はこれが最初、わからず、運動靴が「ズック靴」と呼ばれるので色々類推したらしい。

 

「川上監督の新作戦」 豊福きこう氏と河崎実氏が飛雄馬の「プロ意識の欠如」を指摘していた。一徹に殴られて育った飛雄馬は結局、上司に逆らって勝手に仕事を休み、3年で終わる選手になってしまった。 1年後、花形に2号を打たれたあと、川上は星に「君の生き方、闘い方は『全てかゼロか』に極端にかたよりすぎとるぞ」と忠告していた。

 

明子は一徹に反発しながら結局一徹の娘で、次の配信でも飛雄馬のもとを離れて一徹に「大リーグボール2号は消える魔球」だとばらしてしまうし、伴のトレードも最終的に明子が伴に「飛雄馬と闘うべき」といっていました。あれだけ父と子の戦いを嫌悪していた明子ですが、まるで一徹の別動隊。伴の「青春」は星一家に翻弄されたといえます。

 

1969年夏、星飛雄馬が大リーグボール2号を編み出す練習をしていたとき、甲子園では太田幸司が活躍。ところが翌70年春、太田幸司が近鉄に入ってオープン戦で飛雄馬と投げ合ったとき、消える魔球は既に花形に秘密を解明され、伴は中日にトレードされ、魔球2号は風前の灯火。やはり飛雄馬は川上監督のいうとおり1969年を1号で乗り切って、オズマ帰国後、オフシーズンに2号を開発すればよかった。中日に移籍した伴との対決でも川上監督は大LB1号を当てにしていた

 

太田幸司は近鉄に入ってオープン戦で飛雄馬と投げ合って試合後、握手したとき、飛雄馬を「先輩」と呼んだ。確かに先輩だが、太田幸司は飛雄馬より1歳だけ年下で、しかも飛雄馬は高校中退して巨人に入ったので同学年。

 

55:00 伴は医者に自分の目の負傷を秘密にするよう頼んだが、左門の弟たちや妹たちにばれており、一徹もオズマも花形も伴が目を負傷したことを知っていたし、医者が不思議がったことまでばれていた。伴宙太が両眼包帯姿であちこち歩きまわっていたせいか。ただのちの伴の台詞によると、この時期の途中から伴の目は治っていたようである。あくまで消える魔球の神秘性を高めるために包帯をつけていたらしい。

 

やはり飛雄馬は若かった。オズマは中日と1年契約で、この1969年のシーズンが終わったら帰国することが分かっていた。本来、飛雄馬は川上監督のいうとおり1969年を1号で乗り切り、1969年末~1970年開幕前のオフの期間に2号を編み出せばよかった。ところが飛雄馬はペナントレースの最中の1か月を魔球開発に使ってしまい、1970年開幕時までには花形に秘密を読まれていた。結果、飛雄馬は1970年開幕戦の中日戦とその次の阪神戦に登板して、花形に2号を打たれたあと、飛雄馬は勝手に球場を出て帰宅し、オールスターまで試合を休んでしまった(京子を見舞ったときの台詞によると、飛雄馬は札幌遠征に同行できたが、ベンチ要員で、登板の機会がなかったらしい)。もし飛雄馬が監督のいうとおりにしていれば、1970年の前半でもっと活躍できただろう。飛雄馬の一番いけないところはシーズン中に一人のライバルに負けただけで独断で仕事を休んでしまうこと。結果は3年で引退。 この飛雄馬の悪癖は「新巨人の星」で是正だれたが、アニメでは余計な演出のせいで、飛雄馬が左門の球種を読まれて打たれたあと、また飛雄馬は失踪してしまった。

 

これから1年近くたって伴が中日に移籍したあとも川上監督は大リーグボール1号に期待していた。飛雄馬の感情の起伏が大きすぎるのと、一度ライバルに打たれた魔球を封印したがる癖が問題だった。

 

1:00:20 「川上監督の新作戦」 これはのちに大リーグボール3号と関係してくる。3号はバットの風圧によってバットをよける魔球で、1号の原理と関係ないが、アニメでは星一徹とオズマが別々に3号を「1号の応用」と推理した。これは外れていたが、飛雄馬が採用しても不思議はなかった。

 

1:26:29 たとえ10円でもお釣りは払うべきなので左門の要求は当然。これを見た人は「東京のタクシーの運転手さんはお釣りが10円だと払わないのか」と誤解したかもしれない。堀井憲一郎(京都出身の阪神ファン)も「東京のタクシーの運転手さんは恐ろしいことをいうですばい」と驚いていた。

 

たとえ10円でも釣銭を受け取るのは客として当然。1:26:25 左門はタクシーが遠回りしていたことに気づくと「余りの料金は払わんとです」といっていた。星飛雄馬は左門と同じ貧乏育ちながら日高美奈さんの診療所にタクシーで向かったときは「お釣りはいりません」と言ったり、原作で京子さんのピンチに駆け付けた時は運転手に1万円のチップをあげたりした。

 

84+16=100 100-80=20 「巨人の星」における重要な数式である。みんなで覚えよう。試験には出ないと思うが。

 

川上の現役時代の回想シーン、巨人の監督はおそらく藤本定義で、花形が大リーグボール1号を打倒したとき(1968)には阪神の監督になっていた。

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令和6年5月