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1877年5月26日、木戸孝允が亡くなりました。
— RekiShock(レキショック)@日本史情報発信中 (@Reki_Shock_) May 25, 2024
木戸はかねてよりガンを患っていましたが、西郷隆盛によって西南戦争が始まると、西郷軍征討の任にあたりたいと主張し京都まで出張します。
しかし病状が悪化し、大久保利通の手を握り「西郷もいいかげんにしないか」と言いながら亡くなったといいます。 pic.twitter.com/SzHqQ2zwdA
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1932年に行われた第1回 #日本ダービー の様子です。
— RekiShock(レキショック)@日本史情報発信中 (@Reki_Shock_) May 26, 2024
当日は雨にも関わらず目黒競馬場には多数の観客が押し寄せ大盛況でした。
当時は今のようなゲートはなく、ゴール前も簡素な造りとなっていました。
ダービーの後に行われる目黒記念は、第1回大会の開催地である目黒競馬場から名前をとっています。 pic.twitter.com/Gk8F3fRkTt
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伊周が流罪になった頃(996年5月頃)の登場人物の年齢(満年齢)
— RekiShock(レキショック)@日本史情報発信中 (@Reki_Shock_) May 26, 2024
まひろ(紫式部)
26歳 藤原道長 30歳
倫子 32歳
定子 19歳
ききょう(清少納言) 30歳前後
藤原為時 47歳前後
藤原宣孝 45歳前後
一条天皇 15歳
詮子 34歳
藤原実資 39歳
婉子女王 24歳
藤原伊周 22歳
高階貴子 42歳前後
#光る君へ pic.twitter.com/KEQevtN803
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1905年5月27日、日本海海戦が行われました。
— RekiShock(レキショック)@日本史情報発信中 (@Reki_Shock_) May 26, 2024
東郷平八郎率いる連合艦隊がバルチック艦隊の艦艇をほぼ損失させる、海戦史上まれに見る大勝利を収めました。
アメリカでは黄色人種が白人に勝つはずがないとして日本勝利を誤報と断じ、ロシアの水兵が反乱を起こしたという報道がなされたといいます。 pic.twitter.com/GCT2ZbB0XT
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2001年5月27日、大相撲夏場所の千秋楽で、貴乃花が武蔵丸を破り22回目の優勝を果たしました。
— RekiShock(レキショック)@日本史情報発信中 (@Reki_Shock_) May 26, 2024
多くが武蔵丸の勝利を確信していた中でその予想を覆し、武蔵丸を豪快な上手投げで破り勝利しました。
小泉純一郎元総理による「痛みに耐えてよく頑張った、感動した」と貴乃花を奨励した言葉は有名です。 pic.twitter.com/XVNDp5pfoa
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2001年5月27日、大相撲夏場所の千秋楽で、貴乃花が武蔵丸を破り22回目の優勝を果たしました。
— RekiShock(レキショック)@日本史情報発信中 (@Reki_Shock_) May 26, 2024
多くが武蔵丸の勝利を確信していた中でその予想を覆し、武蔵丸を豪快な上手投げで破り勝利しました。
小泉純一郎元総理による「痛みに耐えてよく頑張った、感動した」と貴乃花を奨励した言葉は有名です。 pic.twitter.com/XVNDp5pfoa
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1556年5月28日、斎藤道三が長良川の戦いで戦死しました。
— RekiShock(レキショック)@日本史情報発信中 (@Reki_Shock_) May 27, 2024
斎藤義龍が率いる17500の兵の前に道三側は2500しか集まらず、織田信長の援軍も間に合わず敗戦しました。
道三の治世では他国に見られる政策がほぼ見られず、家臣たちによって強制的に引退させられたため味方も集まらなかったといわれています。 pic.twitter.com/jv7DHNOsBn
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1937年5月28日、ネヴィル・チェンバレンが英首相に就任しました。
— RekiShock(レキショック)@日本史情報発信中 (@Reki_Shock_) May 27, 2024
外交上の譲歩によって武力衝突を避けて平和を維持する「宥和政策」を進めました。
1938年のミュンヘン会談によってドイツの領土拡大を抑え「平和の使徒」と称えられましたが、ドイツの真意を読み取れず、世界大戦を防げませんでした。 pic.twitter.com/RcJ1vhtiDs
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1945年5月29日、横浜大空襲が行われました。
— RekiShock(レキショック)@日本史情報発信中 (@Reki_Shock_) May 28, 2024
約600機による空襲で8千〜1万人の死者を出しました。
焼夷弾攻撃のデータ収集のために木造住宅の密集地を事前に調べ、焼夷弾で狙い撃ちする作戦だったといわれています。
昼間の空襲であったことから、日本軍も反撃し、B-29を7機撃墜する戦果を挙げました。 pic.twitter.com/O7CG5XjqYr
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1942年5月29日、与謝野晶子が亡くなりました。
— RekiShock(レキショック)@日本史情報発信中 (@Reki_Shock_) May 28, 2024
夫の与謝野鉄幹とは当初は不倫関係で、周囲の冷淡な目を振り払うように鉄幹を想う歌を作り、それが「みだれ髪」として発刊されました。
のちに結婚し12人の子を儲けますが、夫の詩の売行きは年々減少し、家計を支えるため孤軍奮闘していました。 pic.twitter.com/NSIG5EYRaG
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終戦直後に撮影された東京 新橋駅 pic.twitter.com/P222sx5hvf
— RekiShock(レキショック)@日本史情報発信中 (@Reki_Shock_) May 29, 2024
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1934年5月30日、東郷平八郎が亡くなりました。
— RekiShock(レキショック)@日本史情報発信中 (@Reki_Shock_) May 29, 2024
東郷死去に際し「トウゴウゲンスイデモシヌノ?」という文面が小学生の見舞状が新聞に掲載され、大きな反響を呼びました。
死後に東郷神社が建立され神として祀られますが、生前乃木神社に対抗して、自身の神社の計画があることに強く反対していました。 pic.twitter.com/5r1nAkkaBw
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/#昭和レトロ/
— 虚実歴史・漢字論・ナツメロ (@kyojitsurekishi) May 29, 2024
「東郷平八郎」の讀み假名は
舊假名遣ひでは「トウガウヘイハチラウ」だったと思ひますが、 昭和9年(1934)の時點で假名遣ひが「~ゴウ~ロウ」になってゐたのでせうか。
もっとも小學生がさう書いたとしても不思議はありませんが。
この當時の人にとって日露戰爭は/#明治レトロ/ですね
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1824年5月30日、大村益次郎が生まれました。
— RekiShock(レキショック)@日本史情報発信中 (@Reki_Shock_) May 29, 2024
益次郎は彰義隊討伐で有名ですが、討伐の際に夜襲案を一蹴し、白昼堂々の討伐を主張します。
これは、夜襲の混乱で敵が火をつけ江戸が火事になることを防ぎ、上野山中を戦闘区域として限定することで市民への被害拡大を防いだものでした。 pic.twitter.com/WLGmLm1fk4
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1945年5月31日、台北大空襲が行われました。
— RekiShock(レキショック)@日本史情報発信中 (@Reki_Shock_) May 30, 2024
軍事施設、主要官庁街を目標に爆弾が投下され、約3000人の死者が出ました。
台湾総督府は建物の右翼部分に被弾し、エレベーターや階段が倒壊しました。
階段が瓦礫で埋まり地下室へ逃げていた全員が生き埋めになるという惨事も発生しています。 pic.twitter.com/tRyTQ1LydN
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1835年5月31日、新選組副長の土方歳三が生まれました。
— RekiShock(レキショック)@日本史情報発信中 (@Reki_Shock_) May 30, 2024
土方は容姿が良く芸者、舞妓などから恋文をたくさん送られています。
土方はそれを木箱にまとめて日野の親戚のもとに「つまらぬ物」と書き送って自慢していました。
「報国の心わするゝ婦人哉」という発句が手紙に添えられていたといいます。 pic.twitter.com/CYtN5APMor
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【鬼の副長】5月31日は「土方歳三の誕生日」
— ライブドアニュース (@livedoornews) May 30, 2024
1835年、現在の東京都日野市に生まれる。新選組局長・近藤勇の右腕として組織を支えた。和歌や俳諧を嗜むなど、風流人の面もあったという。1869年、戊辰戦争の最後の戦場になった箱館五稜郭の防衛戦で戦死した。 pic.twitter.com/bO7sz6Irwg
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1911年の5月31日、タイタニック号の進水式が行われました。
— RekiShock(レキショック)@日本史情報発信中 (@Reki_Shock_) May 30, 2024
当時最大の蒸気機関船であり、安全性の高さが謳われていました。
ですが、1912年4月14日深夜、氷山に接触したことが原因で沈没します。
ミュージシャンの細野晴臣の祖父である細野正文は、この事故から生還した唯一の日本人として有名です。 pic.twitter.com/Aj466oCxs8
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1408年5月31日(応永15年5月6日)は、室町幕府3代将軍足利義満が亡くなった日です。享年51(満49歳没)でした。様々な出来事があり、もっと高齢まで生きた印象がありました…#今日は何の日 pic.twitter.com/5YNbJ9GbMl
— 歴史が好き🍀 (@naruseyanoken1) May 30, 2024
令和6年pst
616年前の今日、足利義満が亡くなりました。室町幕府3代将軍。専制政策で守護や寺社勢力を抑え込み、南北朝合一を実現、朝廷との良好関係で太政大臣にまで昇進。数多の実績で将軍権力を確立。勘合貿易では永楽通宝を多量に輸入し、それは主に東国では基準通貨ともなり、貨幣経済定着に影響しました。
— 歴史雑談録 (@rekishizatsudan) May 31, 2024
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〔令和6年5月〕