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行成から得た情報は、酒乱の他、斎宮との密通の疑い、職務怠慢に喧嘩。
— かかまつ (@kakamatsukk) May 12, 2024
実際に源頼定は後の東宮の女御綏子(道長の異母妹)との密通が明るみに出ているし、藤原通任は後の斎宮の伊勢下向の際の怠慢が問題視されている。
道長がこの頃からずっと目を付けていたのだとしたら、何と恐ろしい…#光る君へ pic.twitter.com/FMlsl7dHbi
それっぽく書いてるけど「頼」の字はソレではあるまいよ…。旧漢字で書けよって事。文化的に断絶していると言うか、マトモに書ける人もういないんだなと思うと残念に思う。今に始まった事ではないけどね。
— ぴの (@m_tak5) May 12, 2024
活字ではなく楷書の場合は「頼」「賴」どちらでも書かれたみたいです。
— 押井徳馬 (@osito_kuma) May 13, 2024
他にも示偏を含む漢字(ネ・示)、之繞を含む漢字(一点・二点)、「真・眞」「者・者」等。
一方、「佛」に対する「仏」、「釋」に対する「釈」などは飽くまでも「正式の字ではない略字」でした。https://t.co/hNg3tFm5FF
奈良平安時代の古写経とか読んでると、今の新字体で書かれてることが多くて、旧字体ってなんなの。。。となることが結構あるのだけど、あれは康煕字典の影響なのかね? https://t.co/Agispv3vzz
— Kiyonori Nagasaki (@knagasaki) May 13, 2024


元の画像の字、そもそも楷書じゃ無いけど、手書きなら楷書でも古くから「頼」で書くのが普通。https://t.co/3syObswRVe
— goushu (@goushuouji) May 13, 2024
いわゆる旧漢字の「賴」が広く一般に使われたのは近代の活字なので、平安期の書写としては「頼」で問題ないし、旧漢字の「賴」だったはずという思い込みの方が文化的な断絶 https://t.co/e1pNOACGRJ
(者は活字体では点が附いても、楷書では点の附かない字で書かれる事が多かったみたいです)
— 押井徳馬 (@osito_kuma) May 13, 2024



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〔令和6年5月〕