平成24年tw
【時代劇の時代設定】八丁堀の七人:大塩平八郎の乱(1837)からさほど経過しておらず、大塩が実は生きていたという噂が流れる話がある。最後に悪政に抗議する為に主人公たちが丸腰で千代田の城に乗り込んだ。家慶が将軍になったものの大御所家斉が権力を持ち続けていた時代であろう。
平成25年tw
返信先:@yuu63215/
「八丁堀の七人」では1837年の大塩平八郎の乱直後の話があります。「仕事人2009」第11話の時代設定は大塩の乱の16年前・1821年ですが、乱から5年後・1842年当時の江戸と香港を舞台にした「仕事人アヘン戦争へ行く」もあるので時代が重なる可能性はあります。
@yuu63215 https://t.co/u4YFgbq1から続きです。三田村邦彦と村上弘明は必殺で人気上昇してからテレ朝の時代劇やNHK大河ドラマで活躍していますね。「八丁堀の七人」の実質的な主役は2人で片岡鶴太郎と村上弘明でしょうね。
— 虚実歴史・漢字論・ナツメロ (@kyojitsurekishi) February 1, 2013
1832年は鼠小僧が処刑された年で、「必殺からくり人」と「必殺仕事人・激突!」で扱われている。翌1833年には「必殺まっしぐら!」で秀が江戸と日本各地を往復して出張仕事をしていた時。1835年にハレー彗星接近。1837年に大塩平八郎の乱。
「八丁堀の七人」の第6シリーズ第7話「火傷顔の男!生きていた反逆者!?」で死んだはずの大塩平八郎が生きているという噂が立つ話があり、この話に限ると、劇中の時代は1837年の大塩平八郎の乱からさほどたっていなかったことがわかる。
しかしインターネットで調べると「八丁堀の七人」の第1・第6シリーズで北町奉行が跡部山城守になっているらしい。跡部良弼とするとこの人物は1837年の大塩の乱の時は大坂の東町奉行で、江戸の北町奉行になったのは乱から19年経った1856年だったようだ。
平成26年tw
「八丁堀の七人」では北町奉行が跡部山城守だったようだが、この人物が北町奉行だったのは幕末の1856年から1858年まで。大塩平八郎(1837没)がまだ生きているという噂が出る話や葛飾北斎(1849没)が登場する話もあり、時代設定に混乱が見られる。
返信先:@sirairec/
約3か月ぶりで追加です。ネットで調べると「八丁堀の七人」の北町奉行は跡部山城守のようで、これでは金四郎没後の幕末で、大塩の乱から約20年後になります。しかし「八丁堀」には葛飾北斎が登場する話もあり、これだと遅くても金四郎が南町奉行の時までで、時代考証が曖昧です。
平成29年tw
/#八丁堀の七人/
北町奉行が跡部山城守だと1844~45年が南町奉行(鳥居耀蔵と遠山金四郎の間)、1856~1858年が北町奉行。1837年の大塩平八郎の乱が20年くらい前の時代か?
遠山金四郎(1793~1855)は北町奉行(1840~43)と南町奉行(1845~52)を両方つとめたが、跡部山城守も南町奉行(1844~45)と北町奉行(1856~1858)を両方つとめたらしい。
/#遠山の金さん/
跡部山城守は大塩平八郎の乱(1837)の時の大坂東町奉行だったらしい。跡部山城守が北町奉行になった1856年は從来の歴史観だと #開国(1854)の後だが、#鎖国 が無かったということは「開国」の概念も無意味だろう。
令和4年tw
プーシキン(Pushkin)は1799年6月6日(旧暦5月26日)生まれ、1837年2月10日(旧暦1月29日)没。 日本の/#元号/だと寛政11年生まれ、天保8年没である。 同時代の人物に大塩平八郎(Ōshio Heihachirō)がいる。大塩平八郎は寛政5年1月22日(1793年3月4日)生まれ、天保8年3月27日(1837年5月1日)没。
平成12年~平成18年放送。 天保8年(西暦1837年)の大塩平八郎の乱の後の話で、北町奉行は跡部山城守だったらしい。在職期間は安政3年(1856年)~安政5年(1858年)。
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令和5年pst
天保8年(1837年)、大塩平八郎の乱が起きた年、家斉が隠居して家慶が将軍になった。徳川慶喜が誕生。30年後の慶応3年(1867年)、慶喜が大政奉還。
大塩平八郎は寛政5年1月22日(1793年3月4日)生まれ。松平定信の寛政の改革が終了。 大塩平八郎は遠山景元、徳川家慶、千葉周作とほぼ同い年だった。千葉周作には1794年生まれとする説もあるらしい。
令和6年pst
1793年3月4日、大塩平八郎が生まれました。
— RekiShock(レキショック)@日本史情報発信中 (@Reki_Shock_) March 3, 2024
米不足で民衆が苦しむ中、1837年に幕府に対して反乱を起こしました。
ストイックな性格で、夕方には就寝、午前2時に起床と天体観測、武芸の後朝食、午前5時には門弟を集めて講義、その後出勤という自他ともに厳しい生活を送っていたといいます。 pic.twitter.com/kbLd8z6WcF
1793年3月4日、大塩平八郎が生まれました。 米不足で民衆が苦しむ中、1837年に幕府に対して反乱を起こしました。 ストイックな性格で、夕方には就寝、午前2時に起床と天体観測、武芸の後朝食、午前5時には門弟を集めて講義、その後出勤という自他ともに厳しい生活を送っていたといいます。
寛政5年、家斉の治世、松平定信の寛政の改革が終了。同時期に大塩平八郎、遠山金四郎と徳川家慶、千葉周作が生まれた。 天保8年、大塩平八郎の乱。家斉が隠居、家慶が将軍になり、徳川慶喜が誕生。
フランス革命勃発から4年後に大塩平八郎が生まれ、大塩平八郎が没して約3年後にイギリスと清国の間でアヘン戦争が起きた。
満44歳(数え年45歳)。
100年ずらずと日清戦争(1894~1895)の直前から盧溝橋事件、日中戦争開始(1937)までの年数とほぼ等しい。
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