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この歌が発表された昭和15(1940)年は、日本は中華民国との戦争中でしたが、それでも中国文化排除どころか逆に中国文化ブームが起き、「蘇州夜曲」が挿入歌となった映画「支那の夜」も大ヒットしました。実態はともかく建前としては「日本と支那の協力・共存共栄」が当時の国策でした。#ブギウギ pic.twitter.com/jLMjLxDhaQ
— 押井徳馬 (@osito_kuma) November 29, 2023
この歌が発表された昭和15(1940)年は、日本は中華民国との戦争中でしたが、それでも中国文化排除どころか逆に中国文化ブームが起き、「蘇州夜曲」が挿入歌となった映画「支那の夜」も大ヒットしました。実態はともかく建前としては「日本と支那の協力・共存共栄」が当時の国策でした。 #ブギウギ
建前だけでも「五族協和」と言ってた当時のお国と比べると、現代の排外主義的な右翼は、戦前回帰どころか劣化もいいところです。まあ当時は戦争相手の国民党政権の他にも共産党政権や日本の傀儡政権もあり、満州国にも漢民族が住んでたので、日本に協力的な漢民族との友好関係は必要だったわけです。
そして映画「支那の夜」のヒロインは、日本語と中国語のバイリンガルだった李香蘭でした。本当は日本人だったのですが、映画会社は中国人スターとしてデビューさせ、戦後になるまでみんな中国人だと思ってましたが、中華民国との戦争中だったのに日本で大人気のスターでした。
ドラマでは作詞・作曲者名が劇中の人物名になっていて、映画「シナの夜」のタイトルも省かれていた。
〔『蘇州夜曲』(渡辺はま子、霧島昇の曲)の写真 | 昭和ガイド (showa-g.org)〕
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