平成30年tw

📺#西郷どん📺  

📺#翔ぶが如く では、吉之助が奄美に送られた回で、九州本島と少し違う奄美の方言がなかなか印象的でした。これが「琉球の風」につながったんでしょうか?

 

/#西郷どん/  /#奄美大島

奄美の方言には、さすがに「標準語譯」の字幕が出た。

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📺#西郷どん📺  

島津斉彬は「国の民」のために、兵器などにカネを使ったが、これは奄美の犠牲の上で成り立っていたのだろう。奄美の女性が「自分たちは薩摩の殿さまにとっての『民』ではなかった(薩摩藩主にとっての民は本土の民だけ)」と言っていた。なかなか、するどいメッセージである。

 

📺#西郷どん📺  

吉之助はここで、やっと気づいた。薩摩では貧しい民が苦労していたが、それでも奄美の民の苦労の上で藩が成り立っていた。そして「国のため」の出費がなぜ先代藩主から批判されたか、そこがわかっただろう。そもそも斉彬は開国と攘夷、どちらを目指していたのか?

 

幕府を倒した明治政府は琉球を沖縄県にして、台湾、朝鮮、満州を併合した。 #西郷どん

 

鶴ちゃんもっと見たい@函館(@tsurudal2211sin)さん / X (twitter.com)

橋本左内が亡くなったのは安政6年10月7日。その直前の9月12日には島津斉興が69歳で亡くなっている。 #西郷どん

 

#西郷どん

橋本左内は 安政6年10月7日( 1859年11月1日)に処刑された。 西郷が奄美にいる時期、本土の主人公は大久保になる(「翔ぶが如く」ではそうだった)。一方、奄美編は、当時の奄美や琉球から幕末の日本がどう見えていたかという視点で見ると、興味深い。

 

/丹波りん(@TambaRing2)さん / X (twitter.com)/

/#西郷どん

録画視聴。飾り物の藩主って自覚する茂久の聡明さに比べ、久光ってば…。 ひーさまの「あれほど憎かった井伊って奴は実は凄い奴だったんじゃ…」に鳥肌立った。過去の敵と自分の力量を客観的に比較する冷静さ。斉彬の代わりを務め切れてると疑ってもいない久光との差がよくわかる台詞。

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橋本左内 天保5年3月11日(1834年4月19日)生まれ。 安政6年10月7日(1859年11月1日)没。 平成30年の大河ドラマ「西郷どん」を想い出す。

 

橋本左内没後164年。 橋本左内は天保から安政まで生きた。 この間の元号は天保、弘化、嘉永、安政の4つ。 天皇は仁孝天皇と孝明天皇の時代。 昭和生まれが昭和、平成、令和という3つの元号または3人の天皇の時代を生きているからって大したことではない。

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1834年 4月19日(天保5年 3月11日 )生まれ(→#天保レトロ)、安政6年10月7日(1859年11月1日)没(→#安政レトロ)。 次の令和6年は橋本左内生誕190年、没後165年。 

『安政6年→令和5年、橋本左内没後164年』

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