慶長伏見地震 - Wikipedia

 

1573天正 Wikipedia 天正>天正期に起きた出来事
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1585_13 11月29日 - 北陸・畿内で大地震、越中国木舟城の崩壊で
↓__↓ 城主の前田秀継が死去(天正大地震
1586_14 14年 6月24日 - 木曾川(木曽川)が大洪水
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1589_17 17年 2月5日 - 駿河国・遠江国で大地震
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1592文禄 Wikipedia 文禄>文禄期におきた出来事
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1596_05 文禄5年 閏7月9日 - 伊予国(四国、愛媛)で大地震、薬師寺の本堂や仁王門、
↓__↓ 鶴岡八幡宮が倒壊(慶長伊予地震)
↓__↓ 閏7月12日 - 豊後国(九州、大分)で大地震と大津波、瓜生島が海中に没する
↓__↓ (慶長豊後地震)
↓__↓ 7月12日から13日 - 畿内一圓で大地震、伏見城や方廣寺の
↓__↓ 大佛殿が倒壊(慶長伏見地震
↓__↓ Wikipedia 1596年>できごと
↓_慶長 1596年12月16日(文禄5年10月27日) - 日本、改元して慶長元年
↓__↓ Wikipedia 慶長>慶長期におきた出来事
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1604_09 慶長9年 12月16日 - 慶長の大地震が起こる
↓__↓ (東海・東南海・南海連動型地震)、犬吠崎から九州までの
↓__↓ 太平洋沿岸で津波被害
1605_10 慶長10年 9月15日 - 八丈島が噴火
↓__↓ 11月 - 浅間山が噴火
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1611_16 慶長16年 8月21日 - 会津地震が発生、若松城が半壊
↓__↓ 10月28日 - 慶長三陸地震。三陸地方で大地震・大津波が発生し、
↓__↓ 死者多数。被害は北海道南東岸のアイヌにまで及んだ(Wikipediaより)
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1615元和 

 

2011年8月7日放送の『江~姫たちの戦国~』第30話では秀忠邸で火災が起き、猛火の中から秀忠が江を救い出したが、田渕久美子による小説の中巻(2010年11月10日)では慶長伏見地震で江の脚の上に瓦礫が積もり、動けなくなったときに秀忠によって救出されたことになっている。
中国映画『唐山大地震』も上映中止になった。『江』の脚本が放送時期の世相に合わせて変化していることがわかる。つまり『江』で描かれているのは戦国時代の「史実」そのままでなく、あくまでドラマである。
Y!Japan 江~姫たちの戦国~ 地震 火事

 

阪神・淡路大震災で一部のスポーツ新聞で「まさか関西で地震」という見出しが出たとき、ある地震学者が『朝生』でこの戦国時代(16世紀末)の地震を例に出していた。

 

白土三平の『イシミツ』では大坂夏の陣から50年のとき(つまり1665年ごろ)に地震が起きていたが、そこで劇中の人物が天正の時代を「100年も前のこと」と言っていた。しかし、天正は1573年以降なので長く見積もっても92年前よりあとであった。

 

若狭湾に大津波が来たらしい。吉田兼見やルイスフロイスも記録している。
敦賀は『水戸黄門』で光圀が1697年に訪れて公家と対決した場所(実際の光圀は熱海から西に行っていない)。

 

1896年に明治三陸地震があり、37年後の1933年に昭和三陸地震があった。

 

@kyojitsurekishi

半世紀前の白土三平の漫画「イシミツ」では江戸時代初期の村でオドという長老が「鳥の渡る季節でないのに鳥の群れが飛び立った」ことと「蝉が鳴きやんだ」ことと「空の色」から地震を予知した。オドいわく天正の時(安土桃山時代)に同じことがあったらしい。

 

@kyojitsurekishi #花燃ゆ NHK大河ドラマで、小説版と実際の放送で描写が異なった例は他にもある。「江~姫たちの戦国~」(2011)の小説版では1596年の慶長伏見地震の際、徳川秀忠が江を救い出して夫婦の絆が強まったが、放送では火災の場面に「修正」されていた。「江」の場合、東日本大震災があったので、地震の描写が自粛された可能性がある。

22:21 - 2015年6月17日2:37 - 2015年6月18日

 

1995年の阪神・淡路大震災の時まで、日本の大衆の間では「関西では地震は起こらない」という「神話」があり、地震学者・Robert J. Gellerによると、神戸の震災の直後、東京發行のスポーツ紙で「まさか関西に地震」という見出しがあったらしい。Robert J. Gellerは「朝まで生TV」でこの認識の間違いを指摘し、例えば1595年くらいの時期に関西で地震があったと言ったが、これは1586年の天正地震から1596年の慶長伏見地震までの時期を指しているのだろう。 慶長伏見地震(1596)から阪神・淡路大震災(1995)まで399年。地球の歴史では400年前など「ついさっき」「たった今」だろう。江戸時代から昭和まで、近畿地方で何度も地震があったようだ(下注釋)。1995年の阪神・淡路大震災の前、関西で起きた地震は1952年7/18の吉野地震(奈良県北西部)のようで、阪神・淡路はそれから43年経過していたか。もっと前は1946年12/21の南海道地震(和歌山県沖)、戦時中だと1944年12/7の東南海地震。

地震年表

11:1811:2012:1013:28 - 2015年6月18日

└→阪神・淡路大震災から20年+5箇月+1日、近現代に関西で起きた地震/ 

 

この地震から10年後の文禄5年閏7月13日(1596年9月5日)に/#慶長伏見地震/が起きた。 

天正 13年 11月29日(1586年 1月18日) /#天正地震/ /#天正レトロ/

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「江~姫たちの戦国~」(平成23年)の小説版では文禄5年(1596年、慶長改元前)の慶長伏見地震の際、徳川秀忠が江を救い出して夫婦の絆が強まった。テレビの放送では別の災害に「修正」されていた。平成23年に東日本大震災があったので、地震の描写が自粛された可能性がある。 

文禄~慶長+平成レトロ

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427年前の今日、慶長伏見地震が起きました。完成間近の伏見城天守や方広寺大仏などが崩壊、推定M7.25以上で千人超の死者が出たとか。この際、文禄の役の継戦で意見の割れた石田三成に讒言され謹慎していた加藤清正が秀吉を脱出させた「地震加藤」の逸話がありますが、実際は清正は大坂におり創作です。

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/#文禄レトロ/#慶長レトロ

文禄5年閏7月13日(1596年9月5日)子の刻、慶長伏見地震。 

文禄5年10月27日(1596年12月16日) 天変地異などの災異のため慶長に改元。

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前後一覧

令和5年9月

 

関連語句

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参照

家綱の時代(『影の軍団』『イシミツ』など)

 

イシミツ」をめぐる歴史【年表

 

平成23年BLOG

江~姫たちの戦国~』第30話(第30回)「愛しき人よ

 

天正~文禄~慶長年間の自然災害(Wikipedia参考)

 

『江~姫たちの戦国~』で「割愛」された慶長伏見地震と阪神・淡路大震災