令和5年8月16日加筆

 

いだてん〜東京オリムピック噺〜 - Wikipedia

 

平成31年書き込み

1947年7月21日。志ん生は戦後やっと満州から帰還し、人形町末広で復帰後初の高座を務めた。朝から呑んでいた志ん生は昼席を終え、夜席では『ずっこけ』を口演、〆の大喜利でのこと。答えの合間にイビキが……演者が慌てて起こすも志ん生は酔っぱらい、すっかり寝入ってしまっていた。 

#いだてん

 

 

この番組から #いだてん における志ん生のパートは、1964(昭和39)年5月以前だと分かる。何故なら、二代目のとん馬は64年の5月に真打となり三代目三遊亭遊三を襲名、三代目のとん馬は67年まで出ないからである。 ちなみにこの顔触れから、11日からの10日間(中席)は落語芸術協会の番組。

 

酒上小琴【サケノウエノコゴト】(@raizou5th)さん / X (twitter.com)

誤)四代目のとん馬 

正)三代目のとん馬 

ちなみに「番組」とは寄席の出演者やその出番などのことを言います。

 

ご存知ですか? 7月21日は古今亭志ん生が寄席で伝説の“失態”をしでかした日です | 文春オンライン (bunshun.jp)

 

酒上小琴【サケノウエノコゴト】(@raizou5th)さん / X (twitter.com)

この話は有名ですね。

その他にも目撃情報が出ていますので、「高座で居眠り」は何度かあったようです。 私も似たような形で呟きました。

 

3代目三遊亭円歌が枕で5代目古今亭志ん生について話していました。酒飲んで高座に上がってそのまま寝てしまい、楽屋から前座が起こしに来たら、前にいた客が「寝かせといてやれ」と言ったようです。円歌が話した時点でこれは「昔はそれで許された。今では批判されるだろう」という話でした。

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令和5年書き込み

大河ドラマ『いだてん〜東京オリムピック噺〜』は平成~令和における明治~大正~昭和レトロ、21世紀における #20世紀レトロ のドラマだった。

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