/#クロスオーバー画像をあげる見た人もやる/ イヤミは「おそ松くん」のキャラクターだが、「天才バカボン」には他の赤塚作品のキャラクターが時々登場していた。これも手塚治虫直伝のスターシステムか。 

芦田愛菜がみせた渾身の「シェー」ポーズ! 『ワイモバイル テレビCM』

 

 

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昭和も40年代後半になるとあまり見られなくなったが、30年代の子供はほとんど、頬の皮膚がガサガサだった。 もともと頬っぺたは身体の他の部分より脂肪が少なく、思春期に皮脂腺が活発化する前の幼児期には、顔の皮脂の分泌はほぼゼロに近い。(続

 

注釈:昭和40年代後半:昭和45年(西暦1970年)~昭和49年(西暦1974年)

昭和30年代:昭和30年(西暦1955年)~昭和39年(西暦1964年)

 

 

そのうえ、服に守られることなくさまざまな刺激に直接さらされているのでどうしてもカサカサになる。今の子供に比べて、外で風に吹かれていたりすることの多かった昭和の子供、特に男の子は尚更ですな。「子供は風の子」って言葉も死語だね、もう。(続

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これには食べ物も関係していて、日本人の食生活がぐんと向上する昭和40年代後半以前、庶民の子供は肉やバターなど油分の多い食事をほとんど取ってなかった。タクアンと塩ジャケでご飯をかっこんでいる食事では、脂肪分が不足するのも道理。(続

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注釈:昭和40年代後半:昭和45年(西暦1970年)~昭和49年(西暦1974年)

 

……つまり、この頬っぺたの三本線は、昭和前半の時代の子供、それも、脂質の多いぜいたくな食事をしておらず、外で駆け回ることの多かった庶民の子供であるということを示す記号なんですね。赤塚先生や川崎先生の子供時代は、ご本人たちも周囲の子も、みんなこんな肌をしていたのでありましょう。(続

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/唐沢俊一(@karasawananboku)さん / Twitter/

昭和の頃は子供の頬っぺたの特長みたいなものでしたが、最近の子供は保湿効果のあるクリームなんかを赤ん坊の頃から擦り込まれてケアされているので、真っ赤な頬っぺの子も少なくなっている。ノスタルジア的には寂しいが、こちらの方が子供にとり幸せなのは当然。

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注釈:昭和38年=西暦1963年

 

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