本当の昭和は1926年から1989年までですが、確かに世間で昭和を懐かしむ場合、「戦後」(1945年~1989年)が中心ですね。

 

せいぜい、「三丁目の夕日」の舞台の1958年(東京タワー完成、長嶋茂雄が巨人に入団、原辰徳が誕生、板東英二が甲子園で再試合、稲尾和久が日本シリーズで4連勝)あたりまでさかのぼるのが関の山のようです。

 

それは「終戦」から63年経過し、当時を知っている人もほとんど「戦後」当時、子供か未成年だったからでしょう。
今年は昭和でいえば83年ですから。

 

昔の人たちのほうが生活力があったというのは確かでしょう。
保険や年金やガソリンで大騒ぎする昨今の世相は情けない限りです。

 

新潟県中越地震の際、神戸の記憶を語る人はいましたが、さすがに昭和の新潟地震や「終戦」直後の闇市の経験を語る人はほとんどいなくなりましたね。
焼け跡を生き延びた経験を考えれば地震くらい・・・という人は少なくなったわけです。

 

時間的な距離で喩えると、1958年当時の人たちにとって1945年の「終戦」は、今で言えば1995年の阪神・淡路大震災やサリン事件にあたります。

 

戦争を語りつぐのは戦争を起こさないためですが、戦争がないと戦争経験者もどんどんいなくなるという逆説があります。
実際は20世紀後半も朝鮮、ベトナム、イラン・イラク、ユーゴスラビアで戦争が続いていましたが。

 

今の日本は沖縄などの米軍の犯罪、日本人による銃乱射や無差別殺人など、決して「平和」とは言えません。

 

戦争さえなければ平和だと勘違いしている人が多くなりましたが、民衆が戦争を防ぐことに夢中になった結果、生活の安全が破壊されているのを放置してきたツケがまわっています。

 

外来語の言い換えの努力や隣組、回覧板など、今に復活させてよさそうなものです。

 

本当は「戦争」は1945年8月15日以降も続いていたし、ある意味で今も続いていると言えますが、昔の日本人は玉音放送を境に責任も戦いも放り投げて、自分たちの生活だけに夢中になったのでは…と想えてきます。

 

2008/ 4/ 7 8:17 [ No.4026 / 4028 ]

 


1958年といえば、『私は貝になりたい』が放送された年でもあるようですね。
その当時の人たちにとって1945年の沖縄戦、東京大空襲、原爆投下、玉音放送、満洲引き上げは13年前。

 

今の2008年の我々にとっての1995年の松本サリン事件や阪神・淡路大震災のような感じの「昔」だったわけです。

 

1995年といえば岡本真夜の「TOMORROW」、globeの「Feel Like dance」がヒットしていた時期。
人にもよりますが、大人にとって、それほど、大昔というわけではありません。

 

それから『月光仮面』のテレビドラマ版も1958年に放送。
私には1972年のアニメが印象的です。

 

川内康範氏は『ダイヤモンド・アイ』、『コンドールマン』、『レインボーマン』も作った人で、石森章太郎以前の等身大特撮ヒーローの創始者ですね。

 

2008/ 4/ 8 0:23 [ No.4029 / 4029 ]
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川内康範氏の作品『コンドールマン』の怪人は守銭奴やゴミ問題の象徴で、別の特撮に出てくる公害怪獣に近かった。ゴジラも核の恐怖を怪獣にしたもの。

 

今、著作権問題は何かというと裁判に訴えて、法律と辯護士に頼って「金拂え」という話になるが、川内康範は「おふくろさん」に関して同義的なことで怒ったのであって、訴訟も賠償金も求めていなかった。
2008/4/8(火) 午後 4:25

 

補足

「昭和レトロ」が「戦後レトロ」だと長さが3分の2になる。残りの3分の2が平成だとすると「平成レトロ」は時代の必然である。

「三丁目の夕日」に至っては1958年(昭和33年)以降のレトロであり、作品で扱われているのは「昭和30年代」であるから、1958年1/1から1964年12/31までの10年間。昭和の長さの6分の1以下。残りの昭和末期を足す手も1958年1月1日~1989年1月7日だから31年で3分の1以下。

 

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令和5年5月

 

参照

平成22年BLOG

「昭和ブーム」は3分の2だけStar Pegasus of The Giantsのブログ (ameblo.jp)