令和4年11月6日、12日放送
〔あらすじ 第42回「夢のゆくえ」 | NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」〕
『吾妻鏡』建暦3年(1213)5月22日条によると、和田合戦に伴って京でさまざまなウワサが飛び交い、後鳥羽上皇が京の警固のため在京御家人を留まらせたということを、京から帰参した使者が報告しています。
和田合戦後、建暦3年(1213)後半に実朝が自撰した『金槐和歌集』には、後鳥羽上皇への思いをつづった歌があります。
山は裂け 海は浅せなむ 世なりとも
君にふた心 わがあらめやも
令和4年11月13日、19日放送
〔あらすじ 第43回「資格と死角」 | NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」〕
幕府には解決しなければならない大きな課題がありました。源実朝の後継者問題です。御台所の坊門信清の娘(千世)が鎌倉に下着したのは、元久元年(1204)12月のこと。それから建保4年(1216)末までに12年の歳月がたっていましたが、実朝・千世夫妻に実子は生まれていませんでした。
令和4年11月20日、26日放送
〔あらすじ 第44回「審判の日」 | NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」〕
父・頼朝を超える左近衛大将に昇任し、建保6年(1218)7月8日に鶴岡八幡宮で直衣始を執り行った源実朝。
令和4年11月27日、12月3日放送
〔あらすじ 第45回「八幡宮の階段」 | NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」〕
かくして建保7年(1219)1月27日、日本中を震撼させる運命の日がやってきました。
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〔令和4年11月〕