2019/5/1  23:45 

明仁上皇(当時・皇太子)と美智子上皇后のご成婚について補足

 

2009年(平成21年)4月10日は1959年(昭和34年)の明仁天皇と美智子妃の「ご成婚」から50周年。
1959年当時、明仁氏は皇太子であった。

 

したがって、2009年は「昭和84年」でもある。

 

一方、『ドラえもん』てんコミ第1巻「プロポーズ作戦」では、のび太の両親・野比のび助と片岡玉子の婚約が1959年11月3日である。
「プロポーズ作戦」において1959年は「12年前」であるから、少年のび太とドラえもんが同居していた時代は1972年である。
のび太が10歳とすれば1962年8月7日生まれ。婚約から約3年後である。

 

皇后陛下は2010年10月20日で76歳の誕生日、2009年の10月20日には75歳になっていたわけだ。
すると正田美智子さんは1934年生まれ。

 

のび玉子が38歳とすると、美智子さんがこの年齢に達したのは1972年。
「ぼくの生まれた日」の雑誌掲載当時であった。
皇太子徳仁親王は1960年2月23日生まれで、学齢では1959年度生まれになり、1959年生まれの「旧初代」のび太と同学年であり、生年月日はこの学年のスネ夫のそれに近い。1970年1月当時、小学4年の冬休みだった。
秋篠宮文仁親王は1965年11月30日生まれなので、1975年度で小4である。

 

『ドラえもん』の初期、のび太は皇太子徳仁親王または秋篠宮文仁親王と同世代だったわけだ。

 

眞子内親王は1991年生まれで2010年で19歳。「りっぱなパパになるぞ!」の原作でのび太の息子・ノビスケが2002年で10歳くらいだったから、この世代に近い。
愛子内親王は2001年生まれで2010年で9歳。2010年代初めののび太と同世代だ。

 

眞子内親王と同学年の人が小5だったのは2002年4月から2003年3月までなので『のび太のロボット王国』と『ふしぎ風使い』の間の時期ののび太と同学年。

 

愛子内親王と同学年の人が小5だったのは2012年4月から2013年3月までなので、『のび太と奇跡の島』から『ひみつ道具博物館』までの間ののび太と同学年になる。


@kyojitsurekishi 2009年は1959年の明仁氏と美智子さんの「ご成婚」から50周年の年だった。
Y!Blog>2009/12/23(水) 午後 7:03「ご成婚」から50周年
23:51 - 2012年11月30日 tweet(1)

@kyojitsurekishi 1959年の「ご成婚」と1971年の「ドラえもん」の「プロポーズ作戦」 - Yahoo!ブログ
Y!Blog>2009/12/23(水) 午後 7:03「ご成婚」から50周年
14:41 - 2013年4月8日 tweet(2)

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関連語句
ご成婚 プロポーズ作戦
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参照
Y!Blog>エリザベス女王即位66年、結婚71年
Y!Blog>明仁天皇がさかなクンを「さかなクン」とそのまま呼んで業績を評価