無印『ドカベン』
1974年春、高校入学当時の山田(1958年5月5日生まれ)
もし山田太郎が1974年4月高校入学で、普通の高校生と同様、3年後の1977年3月に高校を卒業していたら、1976年秋のドラフトの対象になっていたはずだ。プロデビューは9歳年上の花形満の復帰と同時期である。この場合、山田は原辰徳と同い年で1958年生まれである。
1975年、高1夏、甲子園直後の山田(1959年5月5日生まれ)
1976年、高1秋、神奈川大会~関東大会の山田(1960年5月5日生まれ)
1977年、高1秋、関東大会の山田(1961年5月5日生まれ)
1977年、高2春、センバツ大会初戦に出場した山田(1960年5月5日生まれ)
1978年、高2春、センバツ(選抜)大会決勝に出た山田(1961年5月5日生まれ)
もし山田太郎が1978年春で高2になったのであれば、1979年度で高3なので、「ドカベン香川」こと香川伸行と同学年である。山田高2春の選抜大会では捕球した野手がスタンドに落ちた場合、アウトになるルールだった。
1979年、高2夏、弁慶高校に敗れた山田(1962年5月5日生まれ)
もし山田が1979年夏で高2であれば、1980年秋のドラフトの対象選手(高3)となる。原辰徳は大学生で藤田巨人から指名されたので、原辰徳は山田世代より4歳年上になる。
このとき、土井垣将は19歳で、1960年7月生まれになる。
1980年、高2秋、神奈川大会~関東大会に出た山田(1963年5月5日生まれ)
1981年、高3夏センバツ大会に出た山田(1963年5月5日生まれ)
この場合、工藤公康が同学年に属する。
『大甲子園』(高3夏県大会~甲子園)
1983年、高3夏、『大甲子園』の山田(1965年5月5日生まれ)
この場合、古田敦也と同い年。
1984年、高3夏、『大甲子園』の山田(1966年5月5日生まれ)
1985年、高3夏、『大甲子園』の山田(1967年5月5日生まれ)
もし山田が1985年度で高3であれば、85年秋のドラフトの対象になり、桑田真澄(1968年4月1日生まれ)、清原和博(1967年8月18日生まれ)と同期になっていたところだ。
1986年、高3夏、『大甲子園』の山田(1968年5月5日生まれ)
1987年、高3夏、『大甲子園』の山田(1969年5月5日生まれ)
『ドカベン(番外編)新潟明訓対神奈川明訓』
1991年、高3夏、練習時代で新潟明訓と対戦した山田(1973年5月5日生まれ)
1991年秋のドラフトの対象。イチロー(鈴木一朗、1973年10月22日生まれ)、小林幹英(1974年1月29日生まれ)と同学年。
12月、甲子園球場のラッキーゾーンが撤去された。
『ドカベン プロ野球編』
1992年春、『プロ編』の山田(1976年5月5日生まれ)
1992年夏の甲子園で土佐丸、いわき東と対戦。この大会で星稜高校(石川)の松井秀喜(1974~)が5打席連続敬遠された。松井秀喜は山田より2年先輩になった。
1992年高1夏
甲子園で松井秀喜が5打席連続敬遠される。
1992年高1秋
1993年高2春センバツ
江川学院の中二美夫が山田を5打席連続敬遠。
決勝の土佐丸戦、殿馬がホームラン。ラッキーゾーンは存在しない。補給した野手がスタンドに落ちても本塁打?
1993年高2夏甲子園
明訓高校が弁慶高校に敗れる。
1993年高2秋
土井垣監督辞任、太平監督就任。
1994年(平成6年)高3春センバツ
1994年高3夏
1994年秋、ドラフト指名
1995年春、山田世代一軍デビュー
『プロ編』の山田と同世代で同期の選手には城島健司(1976~)がいる。1994年秋のドラフトで指名された。
土井垣将は松井秀喜と同学年。山岡鉄司、石毛 幸一、北満男、仲根、今川正夫は韓国の元野球選手・沈 正洙(심정수、Shim Jeong-soo)、英国の元蹴球選手・デビッド・ベッカム(David Robert Joseph Beckham,)と同学年。
『ドカベン プロ編』の渚圭一、高代智秋はイチロー、小林幹英と同学年で、『新潟明訓対神奈川明訓』の山田世代と同学年。
前後一覧
〔令和3年7月〕
関連語句
〔「山田太郎 1976年生まれ」の検索結果 - Yahoo!検索〕
参照