第57話「左源太 愛に死す!」
本放送は1989年らしい。
再放送の番号は第55話。
〔テレビ朝日〕
>◇番組内容
>奥羽地方が飢饉に見舞われたため、吉宗は幕府から現地へ米を送り、さらに紀州・尾張両藩からも米を買い上げるよう命じた。そんな中、紀州藩御用達の回船問屋・千石屋が何者かに襲われ負傷した。偶然現場を目撃した左源太の話では、その場には千石屋の他に紀州藩勘定奉行・永坂主計頭と、最近江戸へ出てきたばかりの勘定吟味役・篠田小十郎もいたという。かつて左源太が紀州にいたころ、彼と小十郎の仲がよかったことを知る吉宗は…
>◇出演者
>松平健、北島三郎、船越英二、浅茅陽子、横内正 ほか
御庭番・左源太(演::三ツ木清隆)が第57話で殉職。
もう一人の男の御庭番・才三(演::五代高之)が登場。
女の御庭番は疾風(はやて、演:菅野玲子)、第76話まで。
ナレーションによると、享保年間の中頃、奥州で飢饉。幕府が米を送ろうとした。
吉宗の古巣である紀州藩の家臣が某商人と組み、一部の米を屑米にすりかえようとしていた。
左源太の友人・篠田小十郎(演:立川三貴)が関わっており、その友人の妻・綾(演:三浦リカ)は左源太のかつての恋人だった。
左源太は殉職。吉宗は御庭番の仇である小十郎を自ら斬り捨てた。
「享保の大飢饉」は1731年(享保16年)末~1732年(享保17年)夏に西日本で起きたらしい。
左源太を演じていた三ツ木清隆は『ウルトラマンタロウ』(1973~1974)でZATの西田次郎隊員を演じていた。
『白獅子仮面』(1973)の主人公・剣 兵馬(つるぎ ひょうま)も演じた。旧字・旧仮名で『白獅子假面』と「劍兵馬(つるぎ ひゃうま)」になる。『白獅子仮面』の劇中の時代は『暴れん坊将軍』と同じ享保時代らしい。この『白獅子仮面』では大岡越前守(演:清川新吾)も登場したようだ。
今回、悪人の一人を演じた立川三貴は『影の軍団III』(1982)でビードロの猪之吉を演じていた。
BS朝日、夕方3時台 「暴れん坊将軍V」 今日は第7話だったが、サブタイトルを確認すると本放送では第8話だった。再放送で1話飛ばされたか?
暴れん坊将軍V 御側御用取次・田之倉孫兵衛(演:船越英二)が墓参り。 加納信吾(演:高川裕也)の墓か? 加納菊江(演:光本幸子)が尼になった模様。 墓に書かれた日付を見ると享保十一年。 享保11年は西暦1726年。
〔はぎを 2/28欠席さん (@hagiw0) / Twitter〕
えええええ!さげんたしんだ……(暴れん坊将軍)
〔午後9:24 · 2021年2月19日·Twitter for Android〕
〔ぬーさんさん (@EhZjsZrRHBWl9g3) / Twitter〕
佐源太が死んでしまった…泣いたわ😥
格好良くて好きだった。 #暴れん坊将軍
〔ケープラ K++さん (@maoukpp) / Twitter〕
リアタイではなかった暴れん坊将軍S3#55左源太死亡、歴代でもこんなシーンはない、貴重!そして男御庭番はこの話から出ていた才三へ…
〔午後9:54 · 2021年2月19日·TweetDeck〕
このシリーズの吉宗はもっぱら敵を峰打ちで倒しているが、この回は殉職した御庭番の仇討ちだったせいか、吉宗が自ら相手を斬り捨てていた。
「暴れん坊将軍」の「爺(じい)」と「御庭番(男女の忍者2名)」は吉宗が紀州から連れてきた人材らしいが、長いシリーズの中で何度か交代している。吉宗が将軍に就任したとき、数名の「爺」が江戸にきて、「御庭番」も男女ともに大勢同行していたのであろう。
「暴れん坊将軍」の「爺(じい)」と「御庭番(男女の忍者2名)」は吉宗が紀州から連れてきた人材らしいが、長いシリーズの中で何度か交代している。吉宗が将軍に就任したとき、数名の「爺」が江戸に来て、「御庭番」も男女ともに大勢同行していたのであろう。
吉宗とともに紀州を去って江戸に移った部下たち(御側御用取次と御庭番)の数だけ「人間ドラマ」があったのだろう。
劇中設定では、享保年間の中頃、奥羽地方では冷害級の凶作。 「実際」の「享保の大飢饉」は享保 17 年(1732年)頃、西日本で起きたらしい。
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前後一覧
〔2008年(平成20年、享保293年)9月13日〕
〔2021年(令和3年、享保306年)2月〕
関連語句
〔暴れん坊将軍 左源太〕〔暴れん坊将軍 才三〕(twitter)
〔暴れん坊将軍 庭番 @kyojitsurekishi〕〔左源太 才三〕(twitter)
参照
LivedoorBlog>『暴れん坊将軍』関連tw(平成28年5月26日~平成31年1月24日)