ありますね。分からなかった陽性患者が分かったら、医療崩壊しない様に待機・療養・治療を割り振ればいいだけです。 「医療崩壊になるからPCR検査をして陽性患者を見たくない!」って、「ママに怒られるから0点の答案を見たくないのび太かよ!」と言いたくなります。
〔耳たぶ吸ってたも〜れ@shishmarefさん〕
スタンドバイミードラえもん観てる上の子が「のび太が0点とってるの、先生が廊下に立たせるからじゃないの?だから授業聞けなくてわからなくなっちゃって0点なんじゃないの?」と言ってて、それな過ぎるし、「廊下に立っとれ!」は現代っ子の感覚的に違和感のある演出になってるんだなあと。
〔やーや@怪獣の母@yayatomaritoriさん〕
返信先:@shishmarefさん
うちの息子もよく言いますよ 先生以外にも、野比たまこは虐待してるから通報した方がいいとか、ジャイアンとスネ夫はいじめをしてるのに、何で周りは放置してるんだとか… あれにあんまり違和感持たない自分がおかしいんだなと気付かされます のび太はよく放課後に居残りさせられてて、それだけは裏山(←羨ましい?)
【ド正論】映画『スタンドバイミードラえもん』を観た子供、真実に気づいてしまう! 「のび太が0点なのって◯◯のせいじゃないの?」
〔午後0:00 · 2020年11月26日·livedoor Blog〕
〔りた@riko2happy〕
ジャイアンとスネ夫が意地悪したり、殴ったりするたびに小2の娘はすごい怒ってる。何で誰も止めないの?って。それが当たり前に出てくるのが、もう時代にあってないと思う。ドラえもんのひみつ道具は面白いけど、他は嫌だって。 サザエさんとかもね…
〔りた@@riko2happy〕
スタンドバイミーとかも、時代錯誤なお涙頂戴だし、昭和が大好きな大人のために残ってるのかな。 実は子ども受けは良くなかったりして。
〔山本一郎(Ichiro Yamamoto)@Ichiro_leadoff〕
そもそもスタントバイミー以前にのび太の0点は知能的に明らかに問題のない児童が日々学習していればそんな点は取らないわけで、真っ先に学習障害(LD)が疑われる案件なんだよね…。ワイも小学校の頃は識字障害で大変だった経験あるから、早く家庭も学校も気づいてやれよとドラえもん見るたびに思う。
ドラえもんはもう「レトロ」として扱った方がいいのでは。「昭和のお話」として。50周年でしょ。はいからさんが通るの連載開始が1975年だけど関東大震災は1923年なの。はいからさんはレトロとして読んだでしょ。ドラえもん50年は戦争を挟んでないから分かりにくいけど、社会は同様に変化したし。
〔Umiamo@umiamo〕
実際リアルのび太って、原作1巻で1979年に大学受験落ちて慰めパーティー開いてもらってたから1960年前後生まれ。還暦だよ。
2、3年前にゾウの花子(→正確にはハナ夫)の話をアニメでやってたが、原作の「おじさん」はお年寄りの「大おじさん」になってたなー。
〔午後11:16 · 2020年11月26日〕〔午後11:16 · 2020年11月26日〕
〔insulated truck運転手@phoenix_corner〕
返信先:@shishmarefさん
まぁ元々の設定が昭和の頃の漫画ですからね😅
例えば土管がある空き地自体、今はほぼ無いですし、あっても勝手に入れないようになってるでしょうし。
返信先:@shishmarefさん
テレ朝版のドラえもん放映開始時に5歳だったのでリアルタイム世代と言ってもいいと思うのですが、子供の頃から違和感だらけでしたよ。 廊下に立たされる なんてドラえもん以外で聞いたことありません。 当時は東京と地方都市の差かと思っていましたが、そうでもない部分も多いと思います。
#はいからさんが通る は大正7年(1918年)のシベリア出兵から大正12年(1923年)の関東大震災まで描かれ、連載開始は昭和50年(1975年)。この時点で関東大震災から52年経過していた。 #ドラえもん の連載開始は昭和44年(1969年)12月。約50年前。
本当に勉強が嫌いな子供であれば、廊下に立たされた時点でわけの分からない授業を受けずに済んで嬉しいはず。問題は疲れること。ある話では、のび太はドラえもんの秘密道具を使って、長時間立っていても疲れないようにして、廊下に立たされても平気。
藤子・F・不二雄が「ドラえもん」の原作を始めた昭和44年(1969年)当時は梶原一騎のスポ根の全盛期で、子供は男の子なら殴り合いの喧嘩など日常茶飯事だったようだ。「さようなら、ドラえもん」でものび太がジャイアンに喧嘩で勝つことが成長の証しになっていた。(続く)
(続き)「さようなら、ドラえもん」はアニメでは次の「帰ってきたドラえもん」とセットで放送・放映されるのが普通で、アニメの印象が強い人は、のび太とジャイアンの喧嘩の話も「帰ってきたドラえもん」の話だと思っているかもしれない。これは #STANDbyMEドラえもん(2014)でも映像化された。
のび太が自分の生まれた日にタイムトラベル(Go Toトラベルではない)して、父・のび助を見たとき、「10年若い」と言い、大人ののび太は「25年若い」と言った。劇中の「のび太としずかの結婚」は、のび太の少年時代から15年後であろう。
学校で主人公が廊下に立たされる場面は「ドラえもん」以外にもあった。1970年代のアニメを見ていた人なら記憶にあるはず。1979年当時5歳だと、そういう作品も見たことないか?
本編に直接関係ないですが、 ・おばあちゃんと初対面!のシーンの背景の電柱広告が「つづれ屋」 ・プリンスメロンホテルでは「国際あやとり選手権」「星野スミレディナーショー」を開催予定。 ・未来の2000円札の肖像が「手塚治虫」 こういう細かい演出、大好きです
もし、のび太の少年時代が1975年当時とすると、大人ののび太の時代は1990年ごろ。劇中の設定ではこの時点で手塚治虫の肖像画の2000円札が出ていたが、もちろん、平成2年の時点でそんな紙幣は発行されていなかった。
前作と同様、のび太の少年時代からわずか15年で科学技術が進みすぎ。仮にのび太の少年時代を1975年(昭和50年)とすると15年後は1990年(平成2年)。本作の設定では、車が自動運転になって、手塚治虫の肖像画の2000年札が出ている近未来は、西暦何年ごろなのか? 〔#standbymeドラえもん2感想〕〔@nostoro〕
>(のび太が)1960年~1964生まれだとすると
>のび太としずかの結婚式は1980年代のはずですが、
>映画『STAND BY ME ドラえもん 2』では
>音声認識の全自動運転の自動車があったりします
└→〔のび太の先祖と子孫〕
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〔2020年(令和2年)12月〕