〔語学質問たん@GS___tan〕
【昔の人の時間感覚】
思考実験。いま2020年に生きる自分の頭から西暦の概念が突如なくなったとする。しかし、実はたいして困らない(※)。日々の生活。納期通りの納品。3年かかるプロジェクトの完遂。どれも元号だけでできるような(つづく)
※ 欧米の人と話がかみ合わなくなる、とかはのぞきます。
〔午前9:47 · 2020年7月5日〕
【昔の人の時間感覚】
西暦がなくなっても昔を情緒的にふりかえる分には、なんにも困らない。たとえば今の私は、大正時代が西暦で何年から何年までのことか、実はわかっていません。だけど、ああ、大正浪漫!とか思うとき、別に困らない。他の日本人と会話するときにも支障はない(つづく)
〔午前9:51 · 2020年7月5日〕
【昔の人の時間感覚】
でも、西暦がないと大昔のwhenが、頭の中で位置づけられなくなる。鎌倉が江戸より「前」というのはわかる。でも鎌倉が江戸より【何年前】かはわからなくなる(西暦があれば1603から1192を引き算して400年前ね!とすぐわかるけど)
〔午前9:56 · 2020年7月5日〕
【昔の人の時間感覚】
元号の早見表を使って把握する?
いや、めんどくさくてやらないような気がします。それに鎌倉は江戸の何年前か、なんて、どうでもいいといえばどうでもいい。「すごくむかし」でいいじゃん。
〔午前9:58 · 2020年7月5日〕
【昔の人の時間感覚】
(妄想・感想):元号だけだと「大昔(だいたい100年より前)のできごとを、一直線の時間直線の上にマッピングできなくなる」「ぜんぶが『いにしえ』になる」気がします。そして、これが江戸時代とか、昔の中国とかの人の時間感覚だったのかも、と思いました。
〔午前10:01 · 2020年7月5日〕
【昔の人の時間感覚】
いろいろ書いている、昔の日本や中国の「西暦なし。元号だけ」という感覚は、むかしのローマ人にもあてはまるかなと思います。当時は元号はないけど、「何とかニウスが執政官の年」とかいってたみたいです。
〔午前11:41 · 2020年7月5日〕
確かに庶民の日常生活では西暦こそ不要で、元号だけで充分だという見方もある。昭和の時代の人たちは、おしんが明治40年当時7歳だったら、昭和58年の時は83歳というのを和暦だけで計算できていたか、できなくても気にしていなかったと思う。
確かにキリストが生まれる前は西暦はなかっただろう。 キリスト誕生後の時代でも、フランス革命が起きた1789年はルイ16世即位後15年、日本で寛政元年、光格天皇在位9年、清の乾隆54年、朝鮮の正祖13年。元号で時代を考えるとはこういうことだ。
「関東大震災は大正12年に起きた」。今、誰かがこう言うと「大正12年は何年前か分からない、西暦で言ってほしい」と言う人が出てくるだろう。では「関東大震災は大正時代に起きた」という言い方はどうか。「大正時代」が何年前か、知りたい人が調べればいいだけだ。
大正時代が西暦1912年から1926年までということを知らない人がいるのに「大正時代」という時代区分が成立するのはなぜか?慶長8年から慶応3年(または4年)までの「江戸時代」はどうか?明治元年が1868年というのを知らない人は江戸時代が西暦何年に終わったかも知らないのか。
(まとめの感想):
自分一身の日常生活は元号だけでもOK。でも西暦ぽいのがないと、むかしのできごとをトータルに把握する知力がすごく減少する(=ばかになる)。西暦みたいな「一直線歴」があってよかったなあ、と思います。世界中が元号だったら、すごくめんどくさいです。
〔午後4:29 · 2020年7月5日〕
〔昼行性Kiwi@KIWI_MH65s〕
嘉永6年の干支番(癸丑)と慶長8年の干支番(癸卯)が分かれば、50-40に60×「整数」(つまり4)をたせば250は出てきますね。 十干の連番と十二支の連番を憶えておけばOK! 整数の4は、、、ざっくりと見積もった? ^^;
〔十干十二支覚え書き〕
〔午後8:09 · 2020年7月7日〕
そうやって計算するんですね!
歴史を考える上で元号を使う意味はあるが、元号を使えば使うほど、西暦が必要になる。日本人が中国人に「寛政の改革」の話をする場合、天明9年と寛政元年が清朝の乾隆54年という説明ができるかどうか。「西暦1789年」を経由しないと、いつの時代か説明が難しいだろう。
慶長8年(1603年)の干支が癸卯(みずのと・う)。その後の癸卯の年は60年間隔で寛文3年、享保8年、天明3年、天保14年。ここまで240年経過。天保14年(癸卯)から嘉永6年(癸丑)まで10年。だから慶長8年から嘉永6年まで250年。 幕末の日本人はこうやって計算していたのか?
「西郷どん」で井伊直弼(演:佐野史郎)が「戦国のヨ(世?代?)より250年」と言ったようだが、これは数年の誤差がある。江戸幕府成立を1603年とすると250年後は1853年(嘉永6年)の黒船来航の時で、安政の大獄が始まった1858年(安政5年)は江戸幕府成立から258年後だった。
また「西郷どん」で徳川慶喜(演:松田翔太)が大政奉還したとき、「260年続いた幕府の政権を朝廷に返す」というようなことを話していたと思う。江戸幕府成立から大政奉還までは264年である。これはむしろ数年ずれている方がリアルだということだろうか?
2020年07月08日
LivedoorBlog>〔Twitter検索「元号の限界」「元号は健在」〕
〔午後2:52 · 2020年7月8日〕
防衛省の次世代戦闘機開発に関する産経記事。内容はさておき…
令和13年…量産
令和17年…配備開始
いい加減、未来を元号で表現するのはやめよう。 日本人が1年間で「んー、平成○年は西暦…昭和○年は西暦…」と考える時間を合計したら恐ろしいロスになってそう。
〔令和6年度から試作機製造 防衛省、次期戦闘機の開発日程提示〕
2020.7.7 16:07
返信先:@mahjp2100さん,@feedback515さん
賛成です。 混乱を招く「元号の表記」は廃止すべきです。 例えば、「大正3年」って 今から何年前なのかを即答できる人は少ないでしょうね。 〔#元号廃止〕
小生は「大正3年」が106年前というのはすぐ暗算できる。「大正3年」を使う人はこれが大正時代だと分かれば満足で、「何年前か」などどうでもいいのだろう。そういう人は「第一次世界大戦は1914年に始まった」と言われるとそれがどの元号の時代か知りたくて仕方がないのだろう。
「西暦があるから元号は不要」という意見があるが、逆に「西暦があるから元号を使える」という判断もあるだろう。いくら元号が複雑でも西暦に換算すればいつの時代かわかる。
〔午後2:03 · 2020年7月9日〕
天保8年(西暦1837年)生まれの徳川慶喜は慶応3年(西暦1867年)の時点で30歳(数え年31歳)。幕末の日本人は西暦に頼らず、元号と干支でこれを計算しなければならなかった。
今の日本人には西暦に換算するという手があるんだから、その気になれば、4つや5つの元号くらい、使いこなせるはずだ。
〔午後2:07 · 2020年7月9日〕
/共和国神殿💍さん (@n_jacoken) / Twitter/
元号はナンセンスだというのはもちろんだが、それはそれとして覚えられないので困る。
/共和国神殿💍さん (@n_jacoken) / Twitter/
今年こそ覚えようと頑張っても1年たつと変わっちゃうからね。
/カメ1さん (@tk20120131) / Twitter/
最大の問題は年齢及び事柄の計算ができなくなること。関東大震災は、1922年だから再来年で100年とわかるが大正12年ではわからんし、継ぎ目で1年ダブルので正確な計算できなくなる。医療介護現場では換算式を各自持っているためなんとかするが、もういい加減やめて元号
/市民ウェストン氏さん (@HuFmy) / Twitter/
返信先:@tk20120131さん
1918年、革命ロシアはそれまでのロシア暦を西暦に改めた。全世界の労働者民衆と連帯するため。 (1918年ロシア暦1月30日の翌日は西暦2月14日に)。 公式に元号を使っているのは日本だけ。
返信先:@tk20120131さん
大正12年は1923年です。年齢の計算が面倒なのが問題なら、昭和20年(1945年)の終戦当時の人が、大正12年(1923年)の関東大震災から22年というのをどう計算していたか考える必要があります。徳川慶喜は天保8年生まれで、慶応3年の時点で30歳(数え年31歳)でしたが、元号をやめようと思ったでしょうか
返信先:@HuFmyさん,@tk20120131さん
「ロシア暦を西暦に改めた」という例は暦の改定であって元号とは関係ありません。これは日本では1873年(明治6年)の太陰暦→太陽暦の変更に当たります。明治5年旧12月3日が明治6年1月1日になりました。 「元号」は例えば「ロシア革命はニコライ2世24年に起きた」と言うようなものです。
>返信先:@260yamaguchiさん
元号使用が「ガラパゴス諸島」のようだと言われたら、私などは却って元号を守ろうと思う。 ガラパゴス諸島に生息する各種の生物は人類が守るべき「財産」であろう。 「ガラパゴス化」は非常によいことで日本はどんどん「ガラパゴス化」すればいい。
「#戦後75年」を #元号 だけで計算してみる。昭和20年から昭和64年(平成元年)まで44年。それから平成31年(令和元年)まで30年。それから令和2年まで1年。44年と30年と1年を足せば75年。
〔午前10:18 · 2020年7月12日〕
1994年→平成6年
2016年→平成28年
平成1桁と平成20年代の違い。
申請方法は直接か郵送って書いてあるのに、郵送先書いてないぞ。 ついでに、提出書類一覧は西暦なのに、記入するときは元号ってなんだよ。 2010年が平成何年かなんてすぐにわかるかよ。 そういうとこだぞ。
〔午後5:51 · 2020年7月17日 静岡 富士宮市から·Twitter for iPhone〕
2010年は平成22年。すぐにわかる。2008年が平成20年だから。 これがわからない人は、1947年が昭和何年かもわからないのだろう。1947年は昭和22年だ。 75年前の終戦の年をまだ「昭和20年」と呼ぶのは頭が古い旧人類ということになるか。
1873年(明治6年)、日本が太陽暦を採用。
/国立公文書館さん (@JPNatArchives) / Twitter/
徳川幕府最後の将軍、徳川慶喜。大河ドラマ #青天を衝け では #草彅剛 さんが演じています。画像は、慶喜の事績を記した『続徳川実紀(徳川慶喜実紀)』より、慶喜の誕生について書かれた部分です。水戸藩主徳川斉昭の七男として生まれ、幼名は七郎麻呂でした。
徳川慶喜。 天保8年丁酉年(1837年)生まれ。 弘化4年丁未年(1847年)一橋家相続。満10歳、数え年11歳。 慶応2年丙寅年(1866年)の時点で満29歳、数え年30歳。
〔TWEET(1)〕〔TWEET(2)〕〔TWEET(3)〕〔TWEET(4)〕〔TWEET(5)〕
前後一覧
.......
関連語句
〔乾隆 寛政〕
〔@kyojitsurekishi 乾隆〕(twitter)