『雲霧仁左衛門4』
「天一坊事件」の後半。
「天一坊」は元禄12年(1699年)生まれ、享保14年(1729年)没。
「天一坊事件」は関東郡代・伊奈忠逵(いな ただみち)と勘定奉行・稲生正武(いのう まさたけ)が担当したらしい。「稲生(いのう)」は旧仮名遣いで「イナフ」か?
〔午前9:42 · 2020年6月21日〕
正徳元年12月21日(1712年1月28日)に徳川家重が生まれており、天一坊事件のときは17歳(西暦と元号の対照表では正徳元年は西暦1711年とされる)。
偽の御落胤・天一坊は元禄12年(1699年)生まれ。
「正徳生まれ」が「元禄生まれ」に9代将軍の座を奪われそうだったが、そうは ならなかった。
〔#元号〕
〔午前9:54 · 2020年6月21日〕
享保時代には元禄生まれが多数存命だった。
元禄から享保まで、改元は3回(宝永、正徳、享保)。
昭和生まれが平成、令和という2回の改元を経験したくらいで混乱するのは根性が足りない。
今の日本人にとって馴染みのある「明治」「大正」「昭和」のみだという指摘がある。
「慶応」以前と「平成」以降は西暦で語られることが多いという見方だ。
「昭和生まれ」「平成生まれ」という世代区分はよく使われるが「元禄生まれ」「正徳生まれ」という分類は余り見聞きしない。
また「昭和1桁」「昭和2桁」という世代区分があるが、「平成1桁」「平成2桁」という世代区分が余り使われないのは何故だろう。
徳川光圀(水戸黄門、水戸光圀)は寛永生まれ、元禄時代まで生きた。
享保の改革を行なった徳川吉宗は貞享生まれ。
安永時代にエレキテルの復元をした平賀源内は享保生まれ。
坂本龍馬と徳川慶喜は天保生まれ。
天保の改革のときに北町奉行だった遠山景元(遠山金四郎)は)寛政生まれ。
明治天皇は嘉永生まれ。
/中井貴一主演NHK時代劇『雲霧仁左衛門』史実と違う?徳川吉宗“ご落胤”事件とのズレ (biz-journal.jp)/
>『雲霧仁左衛門4』は、時代設定を享保年間(1716~1736年)として話を進めている。
>安部式部信旨(のぶむね/1668~1724)は、家禄1000石の旗本の子として生まれた。
1668年は寛文(くわぶん)8年。
/中井貴一主演NHK時代劇『雲霧仁左衛門』史実と違う?徳川吉宗“ご落胤”事件とのズレ (biz-journal.jp)/
>安部式部信旨(のぶむね/1668~1724)は、家禄1000石の旗本の子として生まれた。
前後一覧
〔2020年(令和2年、享保305年、正徳310年、元禄333年)6月〕
関連語句