「きよしのズンドコ節」平成14年(西暦2002年)
原曲は「海軍小唄」という で、昭和20年(西暦韋1945年)の終戦当時からあった模様。戦後世代にはドリフターズのカバー(昭和44年、西暦1969年)がお馴染みか
 
前川清(当時は「内山田洋とクール・ファイブ」名義)「長崎は今日も雨だった」 昭和44年(西暦1969年) 昭和61年(西暦1986年)の音楽番組「メリー・クリスマス・ショー」で桑田佳祐が前川清のモノマネをしながら、この「長崎は~」を歌っていた。
 
ドリフターズの「ズンドコ節」も少し紹介された。レコ大でも裏番組のボクシングでもベートーベンの「第九」が使われていた。
 
は平成が終わっても改名の必要はないだろう。昭和末期の例だと「1986オメガトライブ」が1988年(昭和63年)には「カルロス・トシキ&オメガトライブ」になっていたことがある。
の場合、「モーニング娘。'18」のように毎年数字を変える手もある。
 
太田裕美「木綿のハンカチーフ」 昭和50年(西暦1975年) 
主人公の恋人は「木枯らしのビル街」にいるから、季節は冬か。この人の歌には「さらばシベリア鉄道」(昭和55年、西暦1980年)もある。
 
 
平成30年12月から1年後は令和元年12月だったので、平成30年の年末は平成最後の年末だった。 なお、平成30年1月から1年後は平成31年1月であった。それから1年後が令和2年1月。
 
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