平成30年tw
 
返信先: さん、さん
それはわかります。だからその御意見には100%賛成です。そちらが何に不満なのかわかりません。そちらは私のツイートの趣旨を理解できていらっしゃいますか?
>儂は『元号を一切無くしたらわかりにくくなる。元号は必要だ』と言ってるのだ。
 
返信先: さん、さん
「元号は必要だ」と主張する人も、「享保の改革」が「1716年の改革」になりと、いつの改革かさっぱりわからなくなるらしい。そういう人は「享保元年」が今から302年前であることをどうやって計算しているのか?もし何年前か気にしないならそういう人が元号から理解する「時代」とは何なのだろうか。
 
#この世界の片隅に
画面に「昭和20年7月1日」という表示が出た。西暦の併記は無し。少なくとも昭和生まれにはこれでいい。平成生まれの人は「西暦の併記もしてほしい」などと思う前に自分で「昭和20年=西暦1945年」を覚えるか、西暦に換算しなくても昭和の時代を理解できるようにすべきだろう。#元号
posted at 21:22:02
 
#この世界の片隅に
このような悲惨な状況で、登場人物の台詞に、アメリカへの憎悪や、天皇への批判、政府や軍部への批判が出てこないところが「現実的」であり、「日本的」であろう。
大河ドラマで戦国時代や幕末の人が「戦は嫌」「戦のない夜を作る」を連呼しながら戦を防げないのとは違う。
posted at 21:37:17
#この世界の片隅に
「平成30年」の江波の場面の後、「昭和20年8月6日」の呉。
「昭和20年8月6日」という表記を見ただけで「広島に原爆が落とされた日」とわかるのが普通の日本人だろう。戦後生まれはこれを学んだ。平成生まれも知っているはずだ。
posted at 21:42:07
 
平成生まれの人は終戦の年を「西暦1945年」で覚えていて、それが「昭和20年」だったことを知らないのか?一方、すずさんのように終戦を経験した昭和初期世代は終戦の年を「昭和20年」と覚えていて、やはり、これを西暦に換算できない人が多いようだ。これでは意思疎通が難しくなる。#この世界の片隅に
posted at 21:52:33
 
#この世界の片隅に
#昭和20年(1945年)の7月になると軍港のあった呉が何度も米軍よる空襲を受けた。しかし広島は空襲を受けず、当時の人々は「広島は安全」だと思っていたかも知れない。#はだしのゲン では広島に住んでいた元の母・君代(これは作者の母の名)→君江(訂正)が逆に不安を感じていた。その不安は原爆投下という形で的中した。
posted at 00:48:18
 
 
関東大震災の起きた年は「大正12年」。「終戦」の年は「昭和20年」。阪神淡路大震災は「平成7年」。東日本大震災と新潟・長野県境地震は「平成23年」。 我々は日本人これらを とともに、「日本の常識」として覚えておく必要がある。
 
 
#元号 
#この世界の片隅に 
#昭和20年 #8月15日#終戦の日
当時の人はこの年を「昭和20年」で覚えたことだろう。西暦では1945年である。
高齢者も若者も「昭和20年」が西暦何年かわからないようでは、意思疎通が難しいだろう。
 
#この世界の片隅に 
アメリカが日本に降伏をせまったとき、降伏を拒否したのは天皇や政府や軍部だけではなく、多くの民衆も降伏を拒否していたことがわかる。
#はだしのゲン の終戦の描写ではゲンの母が昭和天皇に対して批判と憎悪のことばをぶちまけた。
posted at 21:27:41
 
#昭和20年 
#この世界の片隅に 
終戦の年を「昭和20年」で覚えている年寄りと、「1945年」で覚えている若者が意思疎通する場合、西暦「1945年」に置き換える必要があるのだろうか?もしそうなら、日本人同士でも共通の時間軸は「キリスト教暦」だということになる。
posted at 21:31:31
 
#西暦と元号どっちがわかりやすい
#西郷どん
慶応3年 大政奉還
#この世界の片隅に
昭和20年8月15日 終戦(敗戦)
posted at 23:03:20
 
#西郷どんで奄美大島に行った西郷吉之助が、薩摩の税源が奄美からの搾取の結果だったことに気付いたのと似ている。
【スクリーン雑記帖】「この世界の片隅に」をめぐる“国旗”論争 政治的意味合いを回避したあるセリフとは(2/4ページ) - 産経ニュース  @Sankei_newsさんから
posted at 08:19:19
@Sankei_news #この世界の片隅に
画面では「昭和20年」「平成30年」に西暦の付記なし。昭和20年当時、20代は大正生まれ、40代は明治生まれだった。来年以降、昭和生まれと平成生まれと新元号生まれが混在するからって、大したことではない。この程度で頭が混乱する現代人は昭和のころはどうだったか思い出そう。
#元号
posted at 08:25:18
 
posted at 20:41:42
 
#この世界の片隅に
#昭和20年(1945年)の7月になると軍港のあった呉が何度も米軍よる空襲を受けた。しかし広島は空襲を受けず、当時の人々は「広島は安全」だと思っていたかも知れない。#はだしのゲンでは広島に住んでいた元の母・君江が逆に不安を感じていた。その不安は原爆投下という形で的中した。
posted at 16:34:02
 
@outou__ 終戦が「昭和20年」というのは日本の常識です。これを知らないと戦争を扱った過去の作品や報道を理解できません。ちなみに満州事変は昭和6年、盧溝橋事件は昭和12年、第二次世界大戦開始は昭和14年、真珠湾攻撃は昭和16年です。
#この世界の片隅に 
#はだしのゲン
posted at 18:42:32
 
幼少期に敗戦を経験した人が戦争経験を作品にすると「戦争が終わってほっとした」「日本はもっと早く降伏すればよかったのに」という主張になるが、むしろ降伏に納得できなかった庶民もいたのだろう。戦後生まれの漫画家、スタッフがそこを描いたのは凄い。
 
#はだしのゲン 
「はだしのゲン」はちゃんと天皇とアメリカの両方を批判しているのに、読解力のない人が「ゲンはアメリカを批判せず天皇だけを批判している」と勘違いしている。それに掲載誌の変化など今となってはどうでもいいことで、作者の主張も1巻から10巻まで一貫している。
 
すずは敗戦を知って「最後の一人まで戦うんじゃなかったのか」と怒って悲しんだが、 では、その「最後の一人まで戦う」という考えをぶち壊したのがアメリカの原爆であり、それでもアメリカの原爆投下を許せないというのがゲンの立場だった。
 
ドラマでは、玉音放送が流れた時、すずは日本の降伏に納得できずに怒って泣いていたが、実際に進駐軍を目の前にしても米兵からチョコレートをもらっただけだった。戦争が終わればもはやアメリカは「敵国」ではないということだろう。
 
令和4年tw
 
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