『ドカベン』の山田太郎が高校1年で初めて甲子園大会に出場したのは1974年、第56回大会だった。
原辰徳と同学年であった。
普通、この場合、高2春センバツ~夏の大会は1975年、高3春~夏は1976年になり、卒業は1977年春だったはず。
しかし、実際の『ドカベン』では山田太郎にとっての高2春センバツの終了は1978年、高3の夏は1985年前後、高校卒業、西武ライオンズ入団は1995年だった。
『ドカベン プロ野球編』の設定では、山田太郎の高校入学は1992年春に変更されている。
 
もし山田太郎の高校卒業が1977年春だったら、この時の西武はクラウンライターライオンズ、2年目の78年から西武ライオンズだった(もっとも、もし水島新司がこの時点でプロ編を描いていたら山田太郎は南海に入っていた。野村克也は1978年からライオンズに移籍)。
この場合、1977年の巨人には星飛雄馬が、ヤクルトには花形満が、大洋には左門豊作がいた。
星飛雄馬対山田太郎の対決も「実現」していた可能性がある。
 
山田太郎は1974年に明訓高校に入学。もし1977年に卒業していたら右腕投手時代の星飛雄馬と対戦するチャンスはあった。しかし実際は1977年当時も山田太郎は高1。高2の夏が1979年。この年、飛雄馬は「巨人のサムライ炎」では二軍コーチになり、アニメ「新巨人の星II」ではメジャーに移籍した。
 
 
 
『ドカベン プロ野球編』で山田太郎が明訓高校を卒業したのは1995年(平成7年)春であった。『プロ編』の山田太郎は今年43歳。

12:00 - 2019年10月28日

 

tweet