1977年の王貞治の756号HRは「新巨人の星」だけでなく「がんばれタブチくん」でも描かれています。ヤクルトの鈴木康二朗投手はその後試合でマウンドに上がるたびにアナウンサーや解説者から「王に756号を打たれた鈴木」と言われているという描写でした。
アニメの「ドカベン」では山田太郎が高1秋の関東大会で対戦したハリーフォアマンは王の756号への対抗心で来日したらしい。5/5生まれの山田太郎が1977年秋で16歳とすると1961年生まれ。ドカベン香川と同年生まれだったことになる。
原作ドカベンで山田太郎は1974年夏の甲子園に高1で出たので77年3月に高校を卒業したはずだがアニメの山田は77年秋でまだ高1、78年春選抜で高2になった。すると今度は79年春から高3のはずだが明訓が弁慶高校に敗れた79年夏で山田はまだ高2。
読売ジャイアンツ(1977年・長嶋茂雄) 8柴田勲 4土井正三 7張本勲 3王貞治 5高田繁 9柳田真宏 6河埜和正 2吉田孝司 1堀内恒夫
文庫5巻127頁1977年のプロ野球の球宴が終り、後半戦が始まった時期、女優・鷹ノ羽圭子が伴宙太とレストランで会食。ここで鷹ノ羽圭子は自分の仕事が大事であることを述べて「流行語のように普通の女のコにはなれませんもの」と言っていた。
伴宙太と鷹ノ羽圭子の会食の場面。劇中の時代は1977年の球宴後の後半戦、夜の東京は雨で、神宮のヤクルト×広島の夜間試合が中止、同じ夜に甲子園(兵庫)で巨人×阪神戦が行われていた。等々力の花形邸を訪れた伴はテレビで傳統の一戦を見て「大阪は晴れかいな」。
ベースボールマガジン社「週刊プロ野球 セ・パ誕生60年」の4号(2009年5月5日号)で1977年当時の試合日程を調べてみた。#新巨人の星 (続く)
(続き)1977年当時、夏の #オールスターゲーム は7月23日、24日、26日。同年7月29日、30日、31日には、甲子園で巨人×阪神、名古屋で中日×ヤクルト、広島で広島×大洋の試合が行われていた。ヤクルトと広島が神宮で対戦したのは8月6日と7日だったが、この両日、巨人は川崎で大洋と対戦していた。
「入ったっ入りましたあ!!ついに756号の偉業達成!ときに昭和52年9月3日午後7時10分6秒世界新記録樹立!偉大なるかな王っ世界一の王!!」「違いすぎる…かつて王さんとON砲と並び称せられた栄光の背番号3をつけている身が!」【星飛雄馬『新巨人の星』】 #kajiwara
通算868本のホームランを打った王貞治氏は日本では「世界のホームラン王」だが、日本を除く世界(日本国外)では「日本のホームラン王」とされている。
長嶋茂雄監督就任1年目は昭和50年。王貞治756号本塁打達成は昭和52年。昔の漫画では西暦でなく元号で年を表した例が非常に多かった。平成生まれの人が「昭和のころ生まれてなかった」というだけで「昭和〇年」がいつの時代かわからないようでは困るだろう。
【王貞治756号本塁打(17)】日本中が沸いた!王756号をついに達成!(9月3日後編・最終回) | 週刊ベースボールONLINE
>当時も条件が違うメジャー記録と比べるべきかという議論はあった。それについては、以前も紹介した王の言葉を結論にしていいのではないか。 「世界記録を作るとは思っていない。日本で756本塁打を放った人がいるというだけでいいよ」
王さんの868本の本塁打は偉大であるが、日本の野球界に限定された記録なので、これを世界記録とする見方には異論もあるようだ。イチローや松井秀喜の日米通算安打数とは違う。
関連語句
国民栄誉(内容検索)
参照