江戸時代、天皇が即位した後、最初の改元による元号だけを取り出してみる。
 
まず、室町時代末期、正親町天皇1557年11月17日弘治3年10月27日)に即位し、ユリウス暦1558年3月18日(弘治4年2月28日)、正親町天皇即位のために改元。
ユリウス暦1570年5月27日(永禄13年4月23日)、戦乱などの災異のため元亀に改元。
ユリウス暦1573年8月25日(元亀4年7月28日) 、戦乱などの災異のため天正に改元。
時代は安土桃山時代に移行。
1586年(天正14年)に第107代 後陽成天皇が即位。グレゴリオ暦1593年1月10日(天正20年12月8日)、「天正」から「文禄に改元。この改元理由は後陽成天皇の代始改元だが、即位6年目で歴史上3番目に長い。
グレゴリオ暦1596年12月16日(文禄5年10月27日)、慶長に改元。
 
1611 第108代 後水尾天皇(在位1611 - 1629△) 
1615 元和1615-1624 大坂夏の陣
即位から改元まで4年。
 
第109代 明正天皇(在位1629 - 1643△)の時代は、先代・御水之尾天皇の治世の2つ目の元号「寛永」が引き続き使われ、明正天皇在位中の改元は無し。
「明正」は「めいしやう」らしいが「めいせい」か「みやうしやう」とすべきではないか。
 
1643(寛永20) 第110代 後光明天皇(在位1643 - 1654)  3代目:世祖順治帝 
1645 日本の元号は正保。寛永21年12月16日(グレゴリオ暦1645年1月13日) 後光明天皇即位のため改元。
慶安」と「承応」は天皇即位と関係ない改元による元号なので、一世一元の原則から考えれば無駄だったことになる。
 
1655 第111代 後西天皇(在位1655 - 1663△) 
1655 明暦(~1658) 
 
1663(寛文3) 第112代 霊元天皇(在位1663 - 1687△) 
1673 延宝(~1681) 
即位後の最初の改元(寛文→延宝)は10年後であり、むしろ即位前の改元(万治→寛文)の方が近い。
間の元号は「天和」と「貞享」。「天和」は綱吉の治世の初期、「貞享」は吉宗が生まれた年で始まった。
 
1687 第113代 東山天皇(在位1687 - 1709△) 生類憐みの令
1688 元禄(~1704) 
一世一元の原作から見ると「宝永」が無駄だった。
 
1709 第114代 中御門天皇(在位1709 - 1735△) 綱吉没。6代将軍・徳川家宣
 
1711 正徳(~1716) 正徳の治
一世一元の原則で考えると吉宗の治世を象徴する「享保」は不要となる。
 
1735(享保20年) 第115代 桜町天皇(在位1735 - 1747△) 
1736 元文(~1741)
 
一世一元の原則から見ると「延享」が無駄。
 
1747 第116代 桃園天皇(在位1747 - 1762)
 
1748 寛延(~1751)
一世一元の原則から見ると「宝暦」が無駄。
 
1762 第117代 後桜町天皇(在位1762 - 1770△) エカテリーナ2世即位
1764 明和(~1772) 将軍:家治
 
1770 第118代 後桃園天皇(在位1770 - 1779) 
1772 安永(~1781) 将軍:家治
 
1779 第119代 光格天皇(在位1779 - 1817△) 
1781 天明(~1789) 
「寛政」「享和」「文化」が不要となる。
 
1817 光格天皇譲位(その後、2019年まで天皇の生前退位はなかった)
1817 第120代 仁孝天皇(在位1817 - 1846) 
1818 文政(~1831) 
遠山金四郎、天保の改革で有名な「天保」と「弘化」が無駄だったことになる。
 
1846(弘化3) 第121代 孝明天皇(在位1846 - 1866) 
1848 嘉永(~1855) 将軍:家慶→家定 
幕末の元号「安政」「万延」「文久」「元治」「慶応」は無駄だったことになる。
 
1867 2月13日(慶応3年1月9日睦仁親王践祚(明治天皇
1868 10月23日(慶応4年9月8日明治元年9月8日)、慶応から明治に改元一世一元の詔
 
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参照