それで昭和生まれがかつての明治生まれのような立場になるのが目前に来ると を言い出す。しかし西郷隆盛は文政・天保・弘化・嘉永(略)慶応・明治という多くの改元を経験して世を去った。現代人が昭和・平成・〇〇(新元号)という改元に対処できないなら、相当、堕落していることになる。

返信先: さん、さん、さん
昭和生まれで改元を3回も経験するのを嫌がる人がいるでしょうが、明治生まれの人は昭和までにそれを経験しており、文政生まれの西郷隆盛は10歳(天保)、20歳(弘化→嘉永)、30歳(安政)、40歳(慶応→明治)で違う元号を過ごしました。平成30年くらいで元号を捨てようとする現代人は何でしょうか?

ドラマで出てきた諭し書きの原文です

大久保満寿子(演:美村里江)がお由羅(演:小柳ルミ子)から小犬を預かった。例の甘菓子が奄美の砂糖から作られたと納得させた。正助と他の藩士、あるいは妻との間の誤解と和解のドラマが中心。
『西郷どん』第20回「正助の黒い石」(安政7年、桜田門外の変) - Y!ブログ
posted at 05:24:16
大久保満寿子とお由羅のやりとり。島津家の親子の考えの食い違い。大久保正助と島津親子の会話、駆け引き。正助が藩政に関する悩みを妻に言おうとせず、満寿子が不満を言う展開。吉之助を呼び戻そうと久光に近づく大久保。それに対する藩士の反感、正助の真意を知った後の和解。
#西郷どん
posted at 05:32:21

#西郷どん
薩摩に残った大久保正助と、奄美にいた西郷吉之助の周りの人間ドラマに重点が置かれた。「徳川慶喜」や「篤姫」で桜田門外の変の直前の井伊直弼の考え、判断が語られたが、「西郷どん」では割愛され。井伊直弼は一瞬、映っただけ。吉之助が大久保からの文(ふみ)を受け取って事件を知った。
posted at 05:55:15

@hiroju55 @kimako31 #西郷どん 
西郷隆盛は1827年(文政10年)生まれとすると1860年(安政7年、万延元年)で33歳かと思いきや、この表で34歳です。幕末の人物なので年齢は数え年でしょうね。
しかも陽暦では西郷吉之助は1828年生まれなので、実際は1860年当時で満32歳でした。
posted at 06:34:03

#西郷どん 
桜田門外の変は西暦1860年、和暦で安政7年3月3日、安政→万延の改元の前に起きたが、劇中の大久保正助は改元後にてがみを書いたので「万年元年三月三日」と書いたようだ。安政5年(1858年)~安政6年(1859年)の「安政の大獄」によって奄美に渡った吉之助はこれで改元を知ったことになる。
posted at 06:40:31

#西郷どん 
安政→万延の改元の前の「桜田門外の変」が万延元年の出来事とされている。
内村航平は昭和64年(1989年)1月3日生まれ。我々はこの人を「平成元年1月3日生まれ」としていいのか?
1868年の勝海舟と西郷隆盛の会談は明治改元前で慶応4年だったはずだが、これは「明治元年」でいいのか?
posted at 06:43:49

2019年(平成31年)4月30日で「平成」が終わり、5月1日から新元号となる。朝日新聞はこれが不満らしく「1月1日か4月1日の改元ならいいのに」という愚痴を繰り返している。しかし江戸時代までは年の途中での改元の方が普通だった。5月1日改元くらいで文句を言う朝日新聞は歴史をどう考えているのか。
posted at 06:53:48
確かに #西郷どん では日米和親条約締結が「嘉永7年」か「安政元年」か、桜田門外の変が「安政7年」か「万延元年」かという問題が生じている。同じ年に2つの元号が存在するのは面倒ではあるが、元号とはそういうもので、江戸時代までの日本人はそれで生活していたのだから大した問題ではないとも言える。
posted at 06:56:15
@hiro2997 桜田門外の変は安政7年3月3日、この年(西暦1860年)に万延に改元されました。
江戸時代は元号の重要性と不便さ、限界が混在しています。
元号を「役所の手続きだけの問題」と思っている人が多いですが、あらゆるものに元号が残っているので、縁を切るわけにはいきません。
posted at 07:16:03

#西郷どん 
国父となった島津久光が読み上げた文書は「安政六年己未十一月五日」のもの。「源茂久」は島津茂久(維新後は忠義)のことか。安政6年(1859年)当時。
「以テ如件(よってくだんのごとし)」は落語「たらちね」でお馴染み。
posted at 09:21:37

#西郷どん 
大久保利通、満寿子夫妻の間に生まれた子供は利和(としなか)であろう。1859年8月5日(安政6年7月7日)生まれで、1945年(昭和20年)1月20日まで生きたらしい。間の元号は安政→万延→文久→元治→慶応→明治→大正→昭和。
posted at 09:33:32

昭和20年(1945年)の終戦は「明治78年」「大正34年」に相当する年だった。
万延2年(1861年)、西郷隆盛と愛加那の息子・菊次郎が誕生した。菊次郎は1928年(昭和3年)に67歳で没。昭和3年年当時は、明治維新から60年、安政の大獄から70年が経過していた。
#西郷どん 
posted at 09:52:18
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2018年5月

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西郷どん(twilog)

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