平成30年(安政165年、万延159年)5月17日放送
 
大久保正助と妻の夫婦ドラマに時間がかかりすぎ。
国父・久光が読み上げた文書(焦って行動せず、時を待て)は安政6年のものか。
すぐに奄美に舞台が移り、もう年明け後の安政7年になった模様。
吉之助のもとに文(ふみ)が届けられた。
 
久光は父親から「新しき世を作ろうとするな。古き良き薩摩を守ってくれ」と頼まれても「それはできません」。正直すぎる。まだ若い。この場では「父上の仰せのとおりに致します」と言っといて、あとで変更してもよかった。
 
第13話「正助の布石」
第14話「桜田門外の変」
第31回「さらば幾島」
第32回「桜田門外の変」
第20回「正助の黒い石」

 

sakamobi.com(@sakamobi)さん  Twitter

〔【朝日新聞】日本だけ続いている元号、流行りの「すごい日本」の例に引く言説も。使い勝手の悪い制度

元号はあってもいいけど使う必要なし。役所関係もいいかげん西暦のみに統一してほしい。

11:15 - 2018年5月27日

 

返信先: さん
西郷吉之助と月照の人相書きは安政5年(1858年)に描かれたものとわかりますが、橋本左内の逝去(1859)を知らせる文(ふみ)には日付がないですね。正助は大急ぎで走り書きで出したんでしょう。「雙六」もよく描かれています。
武田鉄矢は勝海舟と坂本龍馬の師弟の両方を演じた。北大路欣也も同様である。武田鉄矢は元禄の水戸黄門・光圀を演じた。北大路欣也は幕末の水戸黄門・斉昭を演じたことがある。
 
「正助の黒い石」桜田門外の変は1860年3月24日(安政7年3月3日)。安政から万延への改元は1860年4月8日(万延元年3月18日)。有村雄助は1860年4月14日(万延元年3月24日)没。劇中、大久保正助が吉之助に宛てたてがみで年号が「万延元年」となっている。改元後に書かれたものだろう。
 
第20回「正助の黒い石」
平成30年(2018年、安政165年)5月17日放送
大久保正助と妻の夫婦ドラマに時間がかかりすぎ。それで江戸で井伊大老がしてきたことは、ほとんど、てがみによる傳聞のみ。劇中の時代は安政6年(1859年)だったが、舞台が奄美に移ると安政7年(1859年)に移った。
 
 

都合のいい方使えばいいんじゃない?西暦でいいと思う。ただし、裏ではしっかり元号はいると思う、日本だし。 中学、高校と日本史習っても江戸時代とか、室町時代とか大枠でしか教えない。西暦が中心だし、本当は江戸時代の中にも慶長〇〇年なんて元号がいっぱい並んでたはずだけどね。

0:24 - 2018年5月28日

 
 
 
 
返信先: さん

桜田門外の変は安政7年3月3日、この年(西暦1860年)に万延に改元されました。 江戸時代は元号の重要性と不便さ、限界が混在しています。 元号を「役所の手続きだけの問題」と思っている人が多いですが、あらゆるものに元号が残っているので、縁を切るわけにはいきません。

7:16 - 2018年5月28日

 

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