@mainichiRT もしNHKが水戸光圀を大河ドラマで扱ったら、光圀の少年時代から始まって家光、家綱、綱吉の治世をたどることになるでしょう。島原の乱、由比正雪の乱、伊達騒動、越後騒動、生類憐みの令、松尾芭蕉の旅、光圀による藤井紋太夫刺殺事件が描かれると思います。
posted at 13:54:49
 
BSジャパン「隠密・奥の細道
芭蕉を演じていたのが中村嘉葎雄で、河合曽良を演じていたのが西山浩司。水戸光圀を演じていたのが丹波哲郎。
1988年(昭和63年)のテレ東での放送から300年前の1688年、元禄元年から話が始まった。
@kyojitsurekishi 新聞のテレビ欄によると、2013年10月3日放送の「#あさきゆめみし ~八百屋お七異聞」では吉三が一時期、松尾芭蕉のもとに預けられたらしい。「隠密・奥の細道」にも芭蕉が登場している。「水戸黄門」では芭蕉は元忍者で風車の弥七とも旧知だったようだ。
posted at 20:59:37
@kyojitsurekishi 八百屋お七が処刑されたのが1683年(天和3年)。5年後の1688年が元禄元年。その次の1689年(元禄2年)に松尾芭蕉が「奥の細道」の旅をして、更に翌年の1690年(元禄3年)に水戸光圀が隠居。#あさきゆめみし 
posted at 05:32:24
 
@kyojitsurekishi 10月24日、「隠密・奥の細道」最終回の再放送。芭蕉(演:中村嘉津雄)が江戸から600里の旅。旅が終わったのが元禄2年(1689年)9月6日。1683年に八百屋お七が処刑されてから6年後。翌1690年、水戸光圀が隠居した。
posted at 13:11:54
 
@kyojitsurekishi 「隠密・奥の細道」では芭蕉は敦賀から大垣までの出来事を曽良に記録させなかった。芭蕉を公儀隠密として狙った者たちの末路、生活苦からそれにのせられた百姓たち、女の隠密の殉職などの悲劇を封印。歴史学は文書の記録を絶対とするが時代劇はその裏を想像で描く。
posted at 13:15:10
@kyojitsurekishi 「隠密・奥の細道」では芭蕉を演じたのが中村嘉津雄で、彼は「新必殺仕置人」の巳代松(or己代松)役だった。一方、最終回の悪役の一人が「必殺仕事人V」の組紐屋の竜の役で有名な京本政樹。奇しくも仕置人vs仕事人の対決となってしまった。
 

@kyojitsurekishi

#あさきゆめみし~八百屋お七異聞」を見るとお七に共感できない。時代劇ではいつもそうで、親がいう正論に逆らう子供や、法を曲げて情を通す奉行などを英雄視する傾向があり、主人公に共感できないことが多い。

午後9:20 · 2013年10月24日

 

@kyojitsurekishi

池田信夫氏が「水戸黄門」「大岡越前」の世界を批判するのもわかる。「大岡越前」の再放送を見ると法に基づいて厳格に政治や司法を進める側が悪人のように描かれ、法を曲げて人々に情けをかける越前たちが正義であるかのように描かれている。

午後9:29 · 2013年10月24日

 

松尾芭蕉は「生き物が恋をするのは命を後世に残すため」としてお七を擁護していたがこれは擁護にならない。店は菊坊が継いだだろうが、お七自身は子孫を残せなかった。命を後世に残すなら、お七は投獄された吉三を見捨てて勘蔵と結婚し店の跡継ぎを産むべきだった。
#あさきゆめみし~八百屋お七異聞
posted at 12:41:17
@kyojitsurekishi 松尾芭蕉は寛永21年(1644年)生まれで、元禄7年10月12日(1694年11月28日)没。藤井紋太夫は元禄7年(1694年)11月23日没。陽暦では1695年1月8日没。#水戸黄門 #光圀伝 
posted at 13:00:43
あさきゆめみし~八百屋お七異聞vs隠密・奥の細道 #ルパンVSコナンにあやかって見たい版権クロスオーバー言ってけ 
お七が処刑され、吉三郎が旅立った後、松尾芭蕉が曽良を連れてみちのくの旅。
@kyojitsurekishi
posted at 00:38:53
@Gamby13 @domaniika 時代劇で「隠密・奥の細道」があります。「水戸黄門」第40部でも芭蕉の旅が描かれていました。光圀の実際の行動範囲は勿来(なこそ)と熱海の間のようで、芭蕉の「奥の細道」の旅は光圀隠居の前年なので、無理がありますが。
posted at 01:40:17
 
@kyojitsurekishi 石坂浩二主演の「水戸黄門」第29~30部は制作サイドが「史実」を重視したシリーズだったようだが、ネットで改めて確認すると、光圀が藤井紋太夫を手討ちにした後に、ケンペルや松尾芭蕉が登場したようで、時代が逆戻りしていた。
#時代考証のなってない時代劇
posted at 12:34:45
2015年02月19日(木)
@kyojitsurekishi 桑田佳祐の「月」を張学友が「過客」及び「望月」というタイトルでカバーしたが、「月日は百代の過客にして」(松尾芭蕉『奥の細道』)や「挙頭望明月」(または「挙頭看明月」、静夜思『静夜思』)とは関係ないか。
2015.2.19.22:52tw
posted at 22:52:19
 
芭蕉も広重も泊まった旅籠、360年の歴史に幕 愛知(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース
posted at 15:13:18
posted at 15:14:06
 
2015年05月05日(火)
posted at 21:18:23
posted at 21:29:42
 
@kyojitsurekishi 2009年の「水戸黄門」第40部、堺正章が松尾芭蕉を演じていた。芭蕉は1644年年生まれ、1694年没なので、劇中で光圀・助・格・お娟がちゃっかり八兵衛と出会ったのは西暦1694年より前。うっかり八兵衛が光圀のおともをしてた期間は4年以内になる。
posted at 20:47:27
 
@kyojitsurekishi 綱吉の時代なら水戸黄門と助・格・弥七、お銀またはお娟、楓、鬼若、アキの他、源六赤穂事件の前の大石内蔵助と吉良上野介を加える手もある。「水戸黄門」第40話で弥七が述べたように松尾芭蕉は伊賀の出らしいので、芭蕉を忍者とする解釋もいいだろう。
posted at 16:31:40
 
@kyojitsurekishi 第40部での新旧八兵衛の交代が芭蕉存命時とすると、1694年の芭蕉没後に初代八兵衛がお供に復帰したことになる。源六(吉宗)が新之助を名乗ったのが1694年以降であれば、第28部第17話は交代直前とも解釋できるが、「頼方」が引っかかる。
posted at 11:07:32
 
by seiryukarate | 2015-02-26 10:36
 
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